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「シンポ無理です」

言葉の微妙なニュアンスの違いや使い方を考えることが好きだ。



たとえば、「連関」と「関連」という言葉がある。
これは漢字をひっくり返しただけじゃないか、とも思える。
それでも、異なる単語として存在しているのだから、ちょっとは意味とかニュアンスに違いがあるのではないかと思ってしまう。


以上のような言葉の意味や用法の違いがわからないと、私はよくTwitterに誰に対してでもなくその旨を呟く。
「『連関』と『関連』ってどう違うんだろう?」


こういう呟きに対してネットの検索結果をを送りつけてくれる友人が時々いる。

私の呟きに対して、わざわざインターネットで調べてくださったのである。

「インターネットの使い方知らないの?」
「さっさと辞書で調べれば良い話じゃないか」
と言われているような気になるのはひねくれ者の性である。

そうではない。そうではないのだ。

私が「『連関』と『関連』ってどう違うんだろう?」と呟いた時点で、それが私の望んでいることではないということはわかるだろう。

そもそもネットや辞書で調べようと思っていたら既に私はそうしていると想像できるはずだ。
曲がりなりにも私は子供の頃からインターネットとも辞書ともお友達である。



私のTwitterの使い方というのは、いわば備忘録のようなもので、誰かに宛てて発信しているものではない。
自分の思ったこと、考えたことをメモしたり、読んだ本や観た映画やアニメ、テレビ番組などの感想を呟いたりというような用途で使用している。

だから、私の
「『連関』と『関連』ってどう違うんだろう?」
という呟きは、
「誰かにその違いを調べて欲しい〜〜!分かる方いる????識者〜〜???」
という意味ではない。



言葉の意味や使い方について考える時、私は極力辞書やネットで調べないようにしている。

実際に会話や文章の中でどのように使用されているのかに注意を払っている。


もちろんそこに多くの誤用があるということは承知している。

私の友人は「進捗」のことを「シンポ」と読む。

「シンチョク無理です」と言うところで、友人は「シンポ無理です」と言うのだ。

それを私が指摘したら、「それでもいいじゃない」というようなことを言っていた。

なるほど、「シンポ」と読むのもそれはそれで可愛らしい。それに何か高尚なことに取り組んでいる感じがして良い。

それが、使われている言葉に注目する醍醐味だと思う。
話されている言葉、書かれている言葉から正しい意味やニュアンスの微かな違いに気づく時もあれば、時として使われ方が間違っている言葉に突き当たることもある。

そしてその間違いは往々にして非常に興味深く示唆的である。


言葉の言い間違い、使い間違いにすぐに気づけるというのは大切なことであるとは思う。

しかしその前に「面白い間違いだな」「可愛らしいな」と思える余裕があるといいと思う。


ちなみに「関連」と「連関」の違いについて、
私は「関連」は、個々の要素同士の関係という点に重点が置かれているのに対して、「連関」は個々の要素同士が関係しあって成立している総体、といったような意味の違いがあるのではないかと感じている。




最後に、私が言葉について興味を持ったきっかけの書籍を少し紹介して終わりたい。


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