支援について思うこと

今日の某ニュースでウクライナへの支援疲れというざっくりした見出しがあり(見出しが目についただけで、記事は読んでません。)、個人的に前から感じていたことを書き記して、残します。

そもそも支援する目的が不明瞭なのに、支援するってどうなのかと以前から感じてました。
たとえば、家族がお金に困っていて、定期的に金銭の支援を求めてきたら、何に使うのかは確認すると思うんですが、対国になるとその部分は不明瞭なままで支援するというのは国際的には常識なんでしょうか?
日本でも地震などの災害が発生した時に支援金を出してますが、それらの明細はどこかにで発表されているんでしょうか?

ウクライナに対しての支援を調べてみたら、名目上は復興支援、財政支援、軍事支援、人道的支援など分かれているみたいなんですが、何に使われたのかは確認されているんでしょうか?
相手から勝手に開戦され、被害も甚大なことを考えると話し合いの席につくのはお互いに難しいとは思いますが、第三者(この場合は当事者以外の国)が戦争を止める為の支援を行う事は難しいんですかね?
復興は戦争が終わらない事は復興に手をつけることは難しいと思いますし、軍事支援は戦争を持続させる(防衛という意味を除いてます)だけに感じますし、人道的支援、財政支援も戦時中よりも戦後に行う方が効果があると思うんです。
私自身、本当に知識がないままに書き殴っているので、支離滅裂なことを書いていると思うんですが、支援疲れという表現を行うよりも効果が分からない支援の仕方を見直すことが必要なんではないでしょうか。

国内の災害についても被災者の方々への支援は当然必要ですが、道路などのインフラに関しては災害に強い構造(?)や材質(または安価に復旧が可能な構造(?)や材質)の研究を支援する方が総合的に効果があると考えてしまいます。
各種研究機関に開発費を出しているのかもしれませんが、そういったことが見えない状況というのが国が支援金を出して終わってしまっている様に感じさせる要因なのかもしれません。

個人が調べられることの限界はありますし、見識がなければ理解できないことも多々あります。
報道機関は被災地の天候やボランティアの映像を流すだけなら、報道機関として調査して、そういった情報も報道してほしいと感じた今日この頃でした。