見出し画像

多くの祭りと1Q84、1984

多くの祭り(フエト)のために
(ノルウェイの森 エピグラフ)

気づいたら又々、絶賛シンクロ祭り中だった件です。
シンクロ祭りの度に、よくこのエピグラフを想起しているので書いてみました。
ノルウェイの森の冒頭に書かれている謎のことばは、
なぜ祭りなのか、本文からはうかがい知れない意味深なことばですが、
シンクロが盛大に重なってくると、シンクロ祭りじゃ〜Σ(゚Д゚ υ)
と思って、これも多くの祭りのひとつと勝手に数えつつ。

それにしても、ここまでシンクロが続いてしまうと、不思議を通り越して、明確な意志とかシナリオみたいなものさえ感じ驚愕したりしてます。
今までシンクロがあると、脳内をノックされたり、ゾーンに入ったりして、考えさせられたりする事で自分が回復してきたので、シンクロは自分の気づきとか、成長のためだと思っていました。まだまだ続くのは、びっくりやらワクワクもあり嬉しい反面、果たして何か予想外のオチがあるのか、ただの個人的な納得で終わってしまうのかといういろいろ考えてしまいますが、ひとまず書き留めておこうと思い書き綴っています。

今回の祭りは、祭りというよりシンクロキャンペーン期間という、言わばキャッシュレス決済のキャンペーン祭りみたいな感じと言いましょうか。(これ書いた後でリアルにキャッシュレス決済キャンペーンが知らぬまに始まっててビックリ)
私は予定外の引っ越しによって、図らずも猫の町(そう呼ばれている)に住む事になりました。
それは特に1Q84の猫の町を意識したわけでも、シンクロの事を考えていたわけではなく、強いて言えば『女のいない男たち』を再読中、シンクロ祭りしながらのたまたまの引っ越し先という事でした。

引っ越してしばらくしてから、そこが猫の町と呼ばれている事を知り、
知った時も天吾の『猫の町』と結びつけてはいませんでした。
ただ「1Q84にも猫の町が出てくるよな~」と思った程度でした。

ある日、1Q84を若干のシンクロを交えながら読み返している時に『自分が引っ越したのはたまたま猫の町だったのではなく、あえて猫の町に引越ししたのだ』と自覚し、1Q84シンクロ祭りキャンペーン絶賛開催中の真っ只中にいると自覚したのです。
この猫の町に住む限りは、基本的に生活丸ごとキャンペーン中になったというか、あるいはそういうタイムラインやら青豆の言うパラレルワールドやらの異世界に移行したというテイ(あくまでテイですが)というか。
ふむ。そうなのか。
と納得するものがありました。
何しろ自分の意図した引越しでなく、最初からそこに長居する予定のなさそうな一時的な引越しなので、予定外の人生の寄り道という感覚がありました。

じゃあ、猫の町に住んでる人が1Q84を読んだらシンクロ祭りになるのかと言われると、もちろんそんな符号はついてないと思いますが。

天吾にとっての猫の町、青豆にとっての1Q84は異世界であり、パラレルワールドのような世界。いつかそこから出る時が来るところ。私もそこを出る時が来るまではキャンペーン期間中という事なのかなと。

となると?
だとしたら?
つまり?
どゆこと??

頭の中は疑問符だらけなので、
とりあえず1Q84を再読したら何か気づく事もあるかなと思ったものの、若干気分が乗らない。(長いから笑)ただ、ふと1984を読んでみたくなりました。

1984に関しては、以前読もうとして挫折した事があったので、
今回はまず漫画を読んでストーリーを確認し、やっぱり本をちゃんと読もうと思い新しい訳で読んでみました。
読むのが苦手なタイプの本で、めっちゃ時間かかりました。
なんかしんどかった…
でも、そこでもまさかのシンクロがあったので、読みきろうと思い、
村上春樹の新刊も出た頃でしたが、横に置いて読み切りました。
(というか読みそびれたまま笑)

1984を読んで思ったのは、今だからこそ、あらゆる人にこの本を薦めたいという事。勧めたとてちゃんと読む人は自分の身近ではあまりいなさそうだし、読む人はすでに読んでそうですが、1Q84がめちゃ売れたのは、図らずも1984を周知する事だったのではないかと思うほど。
いや、むしろ私が遅いのかも知れなくて、今さらなのかもしれませんが、もし有名な作家の本のタイトルでなければ、この本のタイトルが知れわたる事はなかったかもしれないと考えると、1984は読まれる事が求められているのかなと思いました。
カート・ヴォネガットがスローターハウス5を執筆する事で、当時周知されていなかったドレスデン爆撃が世に周知されたように、作家の影響力というのを思わされます。

私は1984に描かれている監視社会が如実に実現していると日々思っていますが、この監視社会の構造がすでに預言的に描かれていた事で、この古典には何かしら大事なヒントがあるのではないかと感じたので、あらゆる人にこの本をゴリ押ししたい気持ちになっています。『1Q84』は、2009年の発売から14年というタイミングですが、発売当時に読んだ時よりも、世界は随分と変わり果て、オーウェルの『1984年』にぐっと近付いてしまったように思います。

小説『1984年』ジョージ・オーウェル(1949年)
ディストピアSF小説

全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖が描かれている、反全体主義のバイブル的小説。

私自身が全体主義を語るにはおこがましいかと思うのでさておき、それでも熱く語りたい自分もいるので、1Q84のシンクロを話す前に、率直な感想を綴っておこうと思います。

私自身は、世界的なウィルスが流行る前から、特に自粛期間など陰謀論などを動画やSNSなどでチェックしていたいわゆる陰謀論支持者です。陰謀を知るにつけ、この事実を微力ながらも知らしめないと!と、自分でも怖々発信したりした事もありましたが、つぶやいたとて何しろ微力。知り合いだけでも予防接種を押し止めたいと願ったものの、自分の無力さを痛感したというか、恐ろしい勢いに圧倒されたというか。
結果的には、例えば以下のような事さえ起こってしまったと思うと、いたたまれない気持ちになります。


そういう中で、今までは閲覧できていた動画やツイート(X)が消されたり、垢BANされるのを見かけたりすると、言論統制されてる〜、監視社会〜(^_^;)
と思い、ゾッとしたりしていました。

世界的なウィルスの蔓延や予防接種の不自然さ、終わらない戦争のニュース、不正選挙、増税、いろんな事が不自然で事実を隠蔽されているとしか思えないのに、どんどんと進んでいる恐ろしさ。
全ての陰謀論を鵜呑みにする事はできないまでも、全体主義を唱えるグローバリストが暗躍していると思えるし、聖書でも預言されている終末の真っ只中にいるとしか思えず。

きっとそれぞれ肌感覚は違うと思いますが、私には今の状況が空恐ろしいとしか思えません。

1984を読むと、74年前に今の世の中のような現状が構造的に見えていたのだと思わせられますが、歴史の裏話みたいなものを深掘れば、不都合な真実は、太古の昔から支配者、権力者などによって隠されてきていて、今信じられている事が国が違えど、全て虚構であっても不思議な事ではないなと思ったりします。

日本書紀や古事記がすでに大化の改新後に都合よく書き換えられたと聞いたり、明治天皇が実はすり替えられていたりという話が事実であるなら、ビッグブラザーの存在さえ実在なのかわからない1984の世界と大差ないと思わされます。

考えてみれば、学校で習う歴史を鵜呑みにしてきたわけなので、何を刷り込まれようと、皆が信じているならそれが『真実』になるわけで、支配者のさじ加減一つで、なんでも信じ込まされる事は可能です。 
そういう意味では、1984の世界は他人事ではなく、今すでにそういう世界に生きている可能性さえあるように思います。

以下、私が1984の中で気になったポイントです。

①支配者側が監視しているのは、大衆でなく国のために働いている人
②二重思考(ダブル・シンク)
③ニュースピーク
④ウィンストン・スミス
⑤支配者の目的

長くなったので、別記事に続きます。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?