見出し画像

1Q84と1984、シンクロキャンペーン

前回の続きです。

1Q84シンクロしながら、1984もちょいシンクロ中。
どちらもキャンペーン期間という感じのこの頃、リアルの地域限定キャッシュレス決済キャンペーンでお祭り気分です。

1Q84はもともと初読でめちゃシンクロしてびっくりした物語です。 それはそれで、その時のお悩み解決のちょっとした脳内へのノックで、気づきや癒しがあるたびに、神さまからの贈り物なのだと考えていました。そしてそのパッケージはその時に完結していたと思っていました。

なので、ふとその世界観に取り囲まれていると気づいたわけですが、思い返せばノルウェイの森の時も、舞台になっている場所とシンクロしたなぁと思い出しました。

やっべーっす。
有り得ない個別対応。
万人向けでは決してない、
ワタシ脳にはビシッとハマるニッチなタイプの対応ありがたし。
これ何系の癒しというのでしょう。
ことばによる癒しと考えると、左脳を再構築しているのでしょうか。
ふと「1984」的再教育と当てはめて、ピッグブラザーのポスターを村上春樹様の顔にしたような世界を思い浮かべました。
街を歩くと「Haruki Murakami is watching you」の言葉と共に村上春樹の顔が描かれてシンクロしまくっている・・・
我ながらウケる笑 
その設定おもしろすぎるからどんな独裁国家になるのか行ってみたい笑

本題の1984の感想です。

①支配者側が監視しているのは、大衆でなく国のために働いている人

この点が読んでいて意外なポイントでした。
最初ウィンストンの視点で読んでいるうちは、全ての人が監視されているような感覚というか錯覚がありました。
しかし、そのうちにテレスクリーンという各自を見張る機械は、各家庭にあるわけではなく、主人公ウィンストンのような国の機関で働いているような人の家にあるようで、当たり前の事なのでしょうが、庶民(プロレ)は見張られていないという事を意外に感じました。
はて?何が自分にとって意外な気がしたのか少し考えました。
ウィンストンはテレスクリーンによって、一挙手一投足のレベルで見張られている事を意識しながら行動をしています。
今、監視社会と言われているのは、そういう監視ではなく、政府や支配者にとって都合の悪い事実を発信してないかの監視が行われています。戦時中なども思想犯が逮捕されたりという事もあったので、庶民も見張られてはいると思います。でも支配者側が全ての人を見張っているわけではない事は何かしらひっかかりました。
庶民は管理して搾取する対象という事で、監視ではなくすでに管理され、生きる権利があったとしても、好むと好まざるにかかわらず、その属する国の支配者から多かれ少なかれ搾取されているという事なのではないか。
家畜や奴隷だと言っている人のことばもよぎり、安全性が不確かな予防接種をあれよあれよと受け入れていった事にも腑に落ちました。
隷属しているから支配者の意向に従ってしまうのではないかと。
そう思うと、満員電車に乗って、周りにいる人たちが一人残らず人生を搾取されている庶民に見えてきて、自分が気づかなっただけで、時代や国が違えど、支配者に利用されるという枠組みの中でしか生まれる事がない、という思いに至りました。
さらに今、支配者側はグローバルに支配しようと画策してきているのだなと。
テレビも普及していなかった時代に書かれた本に、すでに今に通じるような監視社会が描かれている事で、この事がいつの世にも普遍的な構造を持っているような気がしました。

②二重思考(ダブル・シンク)

中軸であるこの概念の、人を内側から破壊する力を考えると空恐ろしい気持ちになります。ふたつの人格に隙間があった身にとっても若干の既視感と危機感を感じます。
社会で生きて行く上では、大なり小なり矛盾を受け入れながら生きて行くとはいえ、あえて人が深く考える事のないようにするという事は、効率的にマインドコントロールするための手法になっており、支配する側の思惑にとっては極めて都合のよい、管理しやすい人間が作れるという概念。カルト宗教でも矛盾がある事は隠すように思いますが、あえて矛盾を受け入れさせるところも怖い点かと思います。この概念を表現するためにはディストピアという状況がかえって概念をクリアに浮かび上がらせているふさわしい状況設定。

③ニュースピーク
ことばの持つ影響力を、さらに人を外側から破壊させるような概念。二重思考によって人を内側から、ニュースピークによって外側から追い詰める悪魔のようなシステム。ここまで人間を隙間なく追い詰めるシステムの構築、人としての息遣いのささやかな最後の一呼吸まで止めてしまうような、最後の一滴まで搾り取るような再構築システム。それを考え出した人間性というか経済観念というか支配欲が、歴代の悪名高い独裁者のエッセンスを全て詰め込んだような支配者像をほうふつとさせているように思います。時代や歴史から、人類は悪い性質の生物濃縮を繰り返し、支配者は先代から学び凝縮されたその特性を、時代を重ねるごとに身に着けてしまっているのではないでしょうか。だからこそ、この世が終わるという概念は方向を変えることなくあり続け、人が人である限り、世が終わる事は必然なのかもしれないと思わせられました。ことばの持つ経済性を合理的に削られて、意味をギリギリまで削がれていく事は、考える力をはぎ取り、支配者が人を操るためには好都合という事なのかもしれません。ことばの持つ力、言霊の封印というのも考えられます。現代でも、宗教であれ業界用語などからは、なんらかの作用によって、無意識に考える力をはぎ取るような影響を受けているのかもしれません。

④ウィンストン・スミス
業務中に、支配者側の嘘の証拠となるような写真を見つけ、自分は真実を知っている革命的な勇者なのだという面持ちになっていきます。反体制な生き方に酔い、命を捨てる事もいとわないと決心さえする。最初はウィンストンの万能感に引きずられるように読んでいましたが、オブライエンからの尋問によりどんどんと膨らんだ空気が漏れるように小さくなっていきます。ウィンストンの写真1枚で全てを悟ったような姿は、陰謀論者の発信などにも似ている気がします。自分でも動画などで陰謀らしき話に触れると、世界の裏側を知ったような気になります。ふだんはダブルシンクによって意識的に思った事を顔に出さないように生活しているウィンストンでしたが、拷問によって、最終的には完全なマインドコントロールされた人間ができあがります。心からの忠誠心が幸福な姿として描かれています。
それは、マインドコントロールされていた人たちの姿を思い起こさせます。
彼ら彼女たちは、収入の9割をささげていようとも、日々の生活の中でささやかな楽しみを持ち、自分で人生の決断しない事を幸福に感じているようでした。身近なところでは社畜というのが同じ構造なのかとは思います。

⑤支配者の目的
ウィンストンを拷問するオブライエンは拷問中のウィンストンに党が権力に固執する理由を訊ねます。
ウィンストンは党自らの利でなく、大多数の利などと考えましたが予想に反して、オブライエンが答えます。
「党が権力を求めるのは、ひたすら権力を欲するからだ」

この答えが自分にとってのこの本の肝でした。
いろんな場面で、自分の思い通りにしたい人に出会う時に、そこに大義も意味もなく、ただ権力を欲しているだけかもしれないと思うと、何か腑に落ちた気がしました。ただ自分の思い通りにしたいという誰よりも強い欲が世界をかき混ぜているのかもしれない。だからこそ、歴史はいつの時代であれ勝手に改ざんされ、どのような手を使ってでも権力の座に着くような、そんな人たちの思惑へ世界は向かう運命なのではないかと。
今監視社会は実現し、世界の終わりという名の大きな滝つぼに向かって流されているボートに乗っているような羽目になっているのかもしれない。

どこで間違えてこのボートに乗ってしまったのか、というのは愚問で、どの時代に生まれた人も、少なからず同じような目にあってきたのだろうと思うし、今もまた人々はこのボートに乗っているのではないかという事。
その事をこの本を通して痛感しました。
特に疫病が流行りだしてからの加速度はすさまじいものがありました。
風景がどんどんと変わっていきました。
同じボートに乗りながら、近くに乗っている人たちにはこのボートがどんなに危険かとなんとか伝えようとしてきましたが、同じボートに乗っているだけに説得力がないのか、届かないことばの無力感にはおしつぶされます。
そういう中で、自分なりの答えを見つけていくしかないし、この本はこの状況にたくさんのヒントをくれた本でした。

これだけにとどまらず、1Q84の再読でさらに自分なりの答えがあったように思うので、それは人生の寄り道のような引っ越しに意味があったのかもしれないと思ったしだい。
とはいえ、なんだかなと思うものの。

ーそれから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」
— ルカによる福音書4章5節〜8節(口語訳)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?