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手をつなぐということは、手を離す時が来るということ

あふれる涙を、そのままにしておきました。

上映終了後、トイレの鏡で自分の顔を見ると、泣いた後だとは幸い分からない感じでした。

イオンモールの帰りに、何故涙が溢れたのか考えてみましたが、分かりませんでした。必ずしも原因を探らなくても良いかなと思い、その日はそのままにして、息子の塾のお迎えを通常通り行いました。

翌朝目が覚めてボーッとしていると、映画の手をつなぐ場面が思い出されました。

もうお分かりでしょう「ルックバック」の話です。ネタバレにはなっていないと思いますので安心して下さい。

手をつなぐ描写が一番印象に残っています。そして、それが別れを象徴することも。

息子とは割と最近まで手を繋いでいました。手をつなぎながら、手をふるようになり、それがタッチに変わり、そして手をつながなくなりました。

息子の自然な成長に、「そういう時期が来たな」と、寂しいのは少しあるけれど、必要な親離れだと思いました。

手をつないで、手を離す。そしてその後、目を離す。心は最期まで離すなと。誰の言葉でしたっけ?

手つなぎを自然に出来る人とは相性が良かったかな。今は昔ですけど。

手つなぎって自然にできないと、自分の手汗が気になって、手をつなぐのを避けるようになりますよね。

海外式の挨拶で、初対面に握手を強要してくる人が苦手です。初対面でなくても、必ず握手でコミュニケーションをしてくる友人が複数名いて、握手を如何に回避するかで頭を悩ませています。コロナ禍で握手コミュニケーションは一時衰退しましたが、また復活してきましたね。

先輩で、手汗を治療する専門のクリニックで働いている方がいます。患者さんは芸能人も多いとのこと。握手が仕事のようなところもあるので、手汗はやはりネガティブな印象なんでしょう。

手が乾いている人って、人に安心感を与えますからね。

当初、妻と手をつないでも手汗は出ていませんでした。しかし、ある時を境に尋常じゃない手汗をするようになり、妻が引きながらも自分の体調を心配してくれていたのを思い出しました。

体調が悪いわけではなかったのです。交感神経が緊張した状態、いわゆる違和感というのをその頃から感じでいたんだろうと思います。

「違和感を大事にしよう」「違和感を深掘り」Voicy界隈ではよく聞かれるワードです。

プロ野球に歌謡曲、ドリフにGメン75。特に深く考えなくとも子供の頃から人生は流れてきました。今更、違和感を深掘りと言われても…

バブル世代という分類。深く考えなくても、人生が上手くやってこれたツケが回ってきたのかも知れません。最近では、違和感というモノの存在に気付かさせてくれた妻にむしろ感謝をしているところです。

でも、目の前で展開される中受という違和感。自分の手は離れても、まだ目は離せないかな。

中受を否定している自分のココロも親のエゴの一つなのかもしれませんけどね。

そんな遠くない時期に、息子は自分の元から離れていくことでしょう。

手をつなぐということは、手を離す時が来るということ。そんな想いがスクリーンに展開され、溢れる想いになったのかな。

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