高校のときの思い出

記憶を辿れば、どこで何をしたんだったか定かではない薄灰色がどこまでも続く中に、ときどき鮮明な瞬間がある。そのほとんどは体育祭であるとか遠足であるとか林間学校であるとか、その時々には対して興味も持てなかった行事で、くだらないと思っていたが風化すればこうして記憶の中に特別な位置を閉めるんだなと変に感心する一方、なんら特別なことがなく、その当時としてはごく当たり前の何もないに等しい一日の、ほんのひとかけらをはっきりと憶えていることもあると気づく。イベントに対する雑誌記事のような記憶とは異なり、至極断片的で前後の脈略が欠けていて、でも忘れがたい、捨てるに捨てられない古い写真のような記憶ーー例えば用水路の水がぶつかってできる渦をずっと飽きずに見つめていた夏とか、図書館の手の届かない本棚に並ぶおどろおどろしい署名に想像をたくましくした冬とか、学友と立ち寄った本屋で一冊しか入荷しなかった文庫本を取り合い、その直後に譲り合った秋であるとかーーこうした記憶と、忘れてしまった無数の経験とはどこが違うのだろう? ただときどき、これはもしかしたらなかなか忘れないかもしれないなという直感に襲われることがある。六月、生ぬるい風に吹かれながら夜の街を歩いたことも、俺はずっと憶えているのではなかろうかーーこの予想が当たっているのか確かめられるのは、十年、二十年先のことになるのだけれど。

米澤穂信「箱の中の欠落」

高校1年生のときである。入学試験に合格した直後の春休み,読書感想文が課題となった。数十冊にリストアップされた課題図書の中から,私は最初なぜかリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を選んだ…が,途中で読むのを挫折した。結局選んだのは吉野源三郎「君たちはどう生きるか」。最近ジブリの映画のタイトルにもなったアレである。

国語の授業で書いてきた感想文を発表することになった。全員発表したのか,それとも私を含む数人が発表したのか記憶が定かではないが,全員発表すると時間がかかりすぎるので後者だったのだろうと思う。まあ,私に限って自分から立候補したとは考えにくいから,もしかしたら先生から指名されたとかだったのだろうか。

私はガチガチに緊張しながら皆の前で発表した。まだ1年生の4,5月のことで,クラスメイトともそんなに打ち解けていなかったのである。緊張を隠すために終始笑顔を作って原稿用紙3枚ほどの感想文をなんとか読み終えた。今となっては書いてきたものを読むだけなのに何をそんなに緊張していたのかという感じだが。

「君たちはどう生きるか」の細かい内容は覚えていないが,タイトルからも分かるとおり啓発的な内容が含まれていたのだと思う。当時の私は(今もか?)少し斜めに構えていたところがあったので,その教えを全面的に良しとはせず,読書感想文の締めで「僕はこういう啓蒙的な本は普段好んで読まないが,高校生にもなったということで少しずつチャレンジしていった方がいいのかなと思った」といった趣旨の発言をした。このときは,それに対する先生のコメントが僕のこの先の指針となるとは思いもしていなかったのである。

そのときの国語の先生は佐々木先生という山岳部の顧問の落ち着いた雰囲気の先生だった。佐々木先生は発表を終えた私にこう言った。「高校生になったからといって,無理に読みたくない本を読む必要はない。本を読み始めて,途中で『この本は自分に合わないな』と感じたら途中でやめて本棚に並べてしまえばいい。それができるのが本ってもののいいところなんだ」と。

先生はいってしまえばわたその読書感想文の締めに反論したのである。しかし,私は自分と異なる意見を持つ人に出会ったとき特有の,相手を負かそうという競争心が全く湧いてこなかった。別の言葉で言うと,先生の意見をすんなりと受け入れることができたのである。

それから私は,面白くなかったらやめればいいという心の余裕を持って読書をできるようになった。このスタンスは,今でも私の読書体験を豊かにしてくれていると思う。佐々木先生はその年の最後に定年退職され,それからお会いする機会を得ることはなかった。退職したら,妻と一緒に琵琶湖へゆっくり旅行に行くんだと笑っていた。お元気だろうか。

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