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子どもは鏡

最近ずっと心の真ん中にあること。
子どもは大人の在り方の鏡だ。

前にいた保育園で、ある保育者がメインで入っていた時、子どもたちは「あらゆるところに神様がいるんだよ」と教えてくれた。「いつも神様が見てるんだよ」と。

その保育者がやめたら、みんな神様の話をしなくなった。
それでも、子どもたちは毎日朗らかで、優しかった。
いろいろ…ありがとうと思いながら働いていた。

たとえば、人数が少なくギリギリでやってて、毎日事故やもめごとを防ぐことで一日が終わるようなところでは、子どもはメカみたいになる。同じ刺激に、ぴったりいつでも同じような答えを返してくる。働く人がパートタイムなら、俺たちもパートタイムだよね、と、いうことなのかな、と思ったりもする。
(いつも子どものことになると、急激に毒舌になる)

だからといって、子どもの魂が落ちたとか失われたとか、そういうことではなく、みんな、自分のタイミングでいろんな自分に気づいていくんだと思う。神様を話すところは、神様と言う存在に気づくタイミングを、メカのところでも、メカを演じるということを、幼児期に学んでいるだけだと感じている。

大人が「神様」を信じて大切にするか、しないか。子どもの内面に対して繊細で、どう見ていくかを大切にしているところの存在は、それでもとても大切だと思うし、まだまだ体感が足りない世界。今年はそこを見て行こうと思う。


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