【シロクマ文芸部:花火と手】SS:最後の花火
花火と手切れ金について話し合った。正確にいうと僕が一方的に喋っていた。別れたいのは僕の方だったからだ。
切り出したとき、花火は息を飲み俯いたまましばらく黙っていた。
僕らが出会ったのは三年前、僕が妻の圭子と諏訪湖の湖上花火大会を訪ねたときだ。圭子が知人として彼女を連れてきた。
可哀想な子なのよ
悪い男に騙されて
若そうだが、一見してぱっとしない女だった。まあ、プライドの高い圭子が自分よりも美しく幸せそうな女を呼ぶわけがない。
ホテルの部屋から三人で次々と打ち上がる花火と湖面に反射する光束のマリアージュを眺めた。
夜空のフレームから溢れる四万発の花炎。その華やかな舞台は圭子の悪舌で濁った。いつものことだが、どうでもいい不満や悪口を延々と捲し立てるのだ。
花火の終わりが近づくと、彼女は体調が悪いのでと席を立ち、先に電車で帰京した。圭子の一人芝居に辟易したのかもしれない。
数日後、盆休み明けの社内は閑散としていた。休み疲れを取るためリモートで働く社員も多い中、社長の娘婿として勤勉さをアピールするため出社せざるを得ない。
眠気覚ましの缶コーヒーを買いに廊下に出たときふいに声を掛けられた。
先日はありがとうございました
清掃員に知り合いはいないはずだが、どことなく見覚えがある顔だ。
ー ああ、花火の子か
それから挨拶を交わすようになり、外回りの帰りにルノアールで話すようになった。そして夕食に誘い、飲みに行く延長から彼女のアパートに立ち寄るまでたいして時間は掛からなかった。
ー そのころか、彼女を花火と呼ぶようになったのは
取り立てて魅力がある女じゃない。ただ圭子のような妻を持つと、線香花火のような儚さに触れたくなるのだ。
東京に憧れ田舎からでてきたものの大した仕事もなく、バイト先のコンビニで客として来たチンピラに捕まったという。風俗で働かせられそうになって逃げだし、清掃の仕事に辿り着いたらしい。
圭子さんが採用してくれたんです
いろいろ話も聞いてもらって
花火は圭子の本性を知らない。あいつは自分より不幸な女が好きなのだ。善人ぶって境遇を聞き出し、同情しているふりをして最後には突き放す。
会社でも社長の娘という立場を利用して人事を握り、やりたい放題やっていた。圭子に逆らったら、俺の首なんか軽く吹っ飛ぶだろう。
僕らの関係に変化はなく時間だけが過ぎていった。空梅雨が開けた7月のある日も仕事帰りに花火のところへと寄った。
いつも通りスペアキーで玄関のドアを開け、シャワーを浴びて口づけを交わす。彼女の細い肩に手を回しかけたとき、消え入りそうな声で花火が言った。
妊娠したの
まずいことになったと青ざめたが、金で解決できるとも思った。圭子の言動を散々、批判してきた僕も、結局のところそちらサイドの人間なのだ。その日は何も言わずに帰り、後日、喫茶店で待ち合わせて手切れ金の話をした。
しばらく押し黙っていた花火は口を開くと絞り出すような声で言った。
お金は要りません
その代わり二人で
あの花火を最後に見たい
諏訪の花火大会は例年8月15日に開催される。この時期は毎年、圭子との旅行の予定が入っていた。だが、すがるような目で花火に懇願され「九州にいる実家の母が急病」という嘘を質草に上諏訪まで出掛けた。
二人で行く最初で最後の旅行。でもこれで全ての片がつくのなら容易いものだ。
偶然なのか、ホテル側が気を利かせたのか、三年前と同じ部屋が用意されていた。窓際のソファに腰かけて花火大会の開始を待つ。
花火は長い髪を後ろで一つにまとめ、夏らしい麻のワンピースを着ていた。
今更ながら、この三年で花火が随分と垢ぬけたことに気づいた。何も変わらないと高を括っていたのは僕だけだったのかもしれない。
カウントダウン後、スターマイン ー速射連発ー を皮切りに炎の宴が始まった。空が割れるような轟音とともに色とりどりの噴水が空を彩る。
その消えゆく美を共有しようと言葉を探すが、言うべきことが何一つ見つからない。僕は黙って、ひたすら空を眺めていた。
ひゅ〜ぅぅぅ、ぱーん
ひゅ〜るぅぅぅ、ぱーん、ぱーん
ぱーん、ぱーん、ぱぱーん
佳境を迎え、光のスピードが加速していく。やるせなさを誤魔化すように僕は立ち上がった。少し痩せた花火の横顔にも僕の胸は痛んだ。
ぱーん、ぱぱーん、ぱーん
ぱーん、ぱーん、ぱぱーん
ぱーん、ぱぱーん、ぱーん
ー いや、これは違う種類の痛み...だ
僕は左胸に手を当てた。暗くてよく見えないが、掌からどろっとしたものが溢れ出るのを感じて、はっとした。
ー 最後...じゃない
やがて崩れるように倒れ、薄れゆく意識の中、僕の目に映ったのは空に咲く大輪の青い花と、その明かりに照らされて花火の右手で鈍く光る拳銃だった。
ー 最期の...花火か
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