ディズニーとの思い出を振り返ってみたら、そこには母の優しさが散りばめられていた
本日、2023年10月16日にウォルトディズニーカンパニーが創立100年を迎えた。
100年って何?いや、普通にすごすぎる。
本当に本当に心の底からおめでとうございます。
私たちファンはこれまで様々な作品の世界に吸い込まれて、その中で数々の冒険を共にしてきた。
ストーリーはもちろんのこと、キャラクターや、音楽、作画に世界観。そのどれもが言葉にはできないほど魅力的で、触れているだけで幸せなのだ。
私の母は私が生まれるずっと前からディズニーのことが大好きだった。
私はそんな母の影響もあり、生まれた時からディズニーに囲まれながら生きてきた。
夜寝る前は決まってミッキーたちの短編アニメーションを見せられていたし、日中は教育テレビを見ずにディズニー映画が流れていた。
車で聴く音楽ももちろんディズニー映画のサウンドトラック。
小学校の読書の時間では、ディズニーリゾートのガイドブックを読んでいたし身の回りのものはディズニーのもので固められていた。
そんな幼少期を送っていたからか、私も当たり前にディズニーが好きになっていた。
もう、好きというか、これこそ無くてはならない存在。酸素と同じだ。
私は、幼稚園に入園する辺りから祖父母と共に生活を共にしはじめた。
母はそのころ養父と再婚をし、私を祖父母の家に置いて養父の実家へ行ってしまったのだ。
身の回りのことはもちろん、学校行事もほとんど祖母が面倒を見てくれていた。
母と会うのは学校が休みの土日だけ。
日頃の小さな母との思い出はほとんどと言っていいほどなかった。
長らくそんな生活が続いていたが、高校に入学するのを機に嫁ぎ先を出てきた母と弟と三人で暮らすこととなった。
しかし、母は自分のことで精一杯で子供のことは後回し。
冷たい言葉が振りかざされることも多く、自分の存在を自問自答しながら耐え抜く日々が続いた。
私は高校卒業後すぐに上京をしたので、母と過ごした期間は長い年月の中で、たったの3年間だった。
その3年間の間でも、強く記憶に残ったのは冷たく当たられたものばかりで、私は心の奥底でいつも寂しさを抱えていた。
◇
大好きなディズニーが100周年ということで、今までの記憶をたくさん呼び起こしてみた。
作品一つ一つにはもちろん愛着があるし、はじめて観た時の思い出を鮮明に覚えているものもある。
思い出は数えきれない。
地元のあの映画館で観たな。とか
5歳の時のクリスマスプレゼントにあの映画のVHSを買ってもらったな、だとか。
私が何度も何度も同じVHSをレンタルショップで借りるから、痺れを切らした母がVHSをプレゼントしてくれたな、とか。
作品はもちろんだけれども、パークにも思い出がたくさんある。
抽選に外れたどうしても観たかったショーをパートナーズ像の隣で肩車をして見せてもらったこととか、
幼かった頃、せっかくパークまで行ったのに雨が土砂降りで諦めてイクスピアリ散策に切り替えたけれど、その後ずっと落ち込んでいた私を見兼ねて、同じ月の別日に再びパークに連れて行ってくれたこととか。
母の会社が早く終わる日に、わざわざ高校まで迎えに来てくれてそのまま二人で舞浜に行ったこともある。
高校生になってようやく母と暮らしだし、気まずさもあり寡黙だった私に母がくれる誕生日プレゼントはいつもミッキーのグッズだった。
「何をもらったら喜ぶか分からないけれど、ミッキーなら間違い無いかな?と思って。」
そう言っていつもミッキーのグッズをプレゼントしてくれた。
ディズニーとの思い出を思い返してみると、そこにはほとんどいつも、母の笑顔があった。
ずっと、愛情が足りなかったと思っていた。
でも、本当はそんなことばかりじゃなかったじゃないか。
不器用な母なりに、母なりの愛情を与えてくれていた。
私はずっとそれに気付けずにいただけなのかもしれない。
こうやって、改まって振り返らないと気付けなかったことすら気付けなかった。
私がこうしてディズニーと共に人生を歩めてきたのも、全て母のおかげだ。
ディズニーのない生活なんて今の私には考えることもできない。
こうやって、記念すべき年に生きていられること、そしてずっと不仲だった母と共にお祝いできること、全て奇跡で当たり前なことなんて一つもない。
もちろん、当たり前のように100年間もこのアニメーションスタジオが存続してくれていることにも。
全ての巡り合わせに改めて感謝しなくちゃいけない。
これからも、ディズニー作品と共に沢山の冒険に出かけていきたい。
歳を重ねて、息絶えるその時まで。
私が今日願い星に祈ることは
『これからもずっとディズニー作品と共に生きていけますように。』
これしかない。
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