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ドイツで考える人種差別問題と日常

書こうか書くまいか考えたが、やっぱり文字にしてみようと思う。文字にすることで頭が整理されることもあるし。

昨日自転車屋さんで修理を待つ間、外の椅子で待っていたら、10歳くらいの男の子たち三人が私の前を通りすがら、わたしに向かって「モンゴル、ベトナムー」と大声で突然叫んできた。わたしはこういうときは無視をするようにしているが、その子たちは、通り過ぎてからも大声でしつこく繰り返した。

頻繁ではないが、たまにある風景だ。こっちはこうした輩には正直慣れっこだ。それでも20年前のフランス留学時代よりは随分ましになった。今フランスを旅行者として訪ねると、こうした風景に遭遇することはほとんどなくなったように感じる。

わたしはニイハオ、コンニショワなどと言われる分は特に腹立たないが(単に挨拶してくれているのかもしれないし、時にはニイハオと返したり、ボンジュールと言ったりしてみる!)、からかいや暴言の対象として、赤の他人の前に突然踏み込んできてこういう振る舞いをする人間に出くわすと、それが子どもであろうと青年であろうと人間の愚かさを感じて怒りというより力が抜ける。正直腹が立たないわけはないが、それに対応したら負け。Noと言うべきなど意見があるかもしれないが、どんな凶器を持っているかもしれない人間を相手にするのは得策でないし、やはり一番は自分のエネルギーと時間の無駄遣いになると思う。「それで? SO WHAT? 」と言えば気持ちは楽だろうなあとは思うが。子どもだと「他人をからかう時間があれば勉強でもしたら」と言いたくなります。そしてこの種のからかいは必ずからかう側が集団でいる時に起きる現象だ。

それにしても、どんな教育してるんだろう。どんな環境にいれば全くの他人にこんな振る舞いができるのだろう。ただベンチに座って修理を待つ人間がいきなりからかいの対象になった時の心情を考えないのかね。

欧州の小学校では「道徳」の授業とかもないのかな。フランスはないと聞くが。少なくとも、「人様が嫌がることはしてはいけません」くらいの物の分別を幼少の頃に親やらに教えてもらわないのかな?

今ニュースになっているアメリカの根深い人種差別も根底に流れるものは変わらないんじゃないかなと思う。自分と違う民族・人種への嫌悪か何か知らないが、嫌がらせだと思う。危害を加える、嫌な思いをさせるくらいならば、無関心でいてくれた方が百もマシ。差別をする側にとっても時間とエネルギーの無駄のはずなのに、鬱憤晴らしのようにしているとしか正直思えない。

わたしがアメリカの大学に行く頃から、入学願書には国籍以外に、民族(Ethnicity)を記入する欄があった(今もあると思う)。黒人の方の受け入れ枠があって一定数を必ず入学させるというポジティブアクション(Affirmative Action)制度を持つ大学がほとんどであるためだ。そしてこうした制度は逆差別を招いているという批判も少なくない。

ドイツの市民化テストでも感じたが、「平等取扱」「差別禁止」原則は徹底的に教え込まれる(移民にも)。

でもね、アメリカもドイツも、いくら「平等」の制度を整えても、結局それを運用したり、そこに暮らす人間がなぜそういう制度を整えないといけないのか、なぜ何度も何度もリマインドされるのかを理解しない限り、その制度をワークさせきれないのですよね。

他人へのリスペクトが欠落していたり、攻撃的な嫌がらせをする人間がいるため、いくら法制度を整えても、学校で教えていても、こうした差別や嫌がらせに終わりがないのかなと欧州・米州在住10年超の経験から思います。もちろん、平均的、もしくはインテリ層の欧米人は腹の底ではどう思っているかはわからないが、表面には差別意識を出さないし、大半は善良な心を持っていると信じたい。しかし表面的なPolitical Correctnessを使えない人間が時としてからかいや嫌がらせ、さらには犯罪行為をする。差別禁止の制度は一応整っているが故、それ以上の制度上の改善は難しく、フロイドさんのことようなことが個別に度々起こってしまう。そして抗議運動が広がる。毎度既視感があるが、欧米での人種・民族差別問題はそんな構図なのかなと感じる。日本にも差別がないわけではないが、他人に突然嫌がらせをする、暴言を吐きかけるような人間は肌感覚だが欧米よりは遥かに少ないように思う。

「三つ子の魂百まで」

わたしが欧州で単に民族的外見でからかわれたりするときにはそう思うようにしている。怒りを抑えるための、「我関せず」を貫くためのおまじない。移民(米国では"Alien"、文字通りエイリアンと呼ばれる)には悲しい現実だが、刷り込みもあるだろうし、マインドセットはなかなか変わらないものだ。

ところで麻生大臣の「民度」発言が問題になっているとニュースで見たが、さすがに公的な場での言葉選びは重要であろうが、「文化の違い」とでもいえばしっくりくるなあと思った。差別問題は文化の違いでは済ませてはならないが、良識と教育の違いというのはあるのではないだろうか、と改めて思った昨日の出来事でした。

力が入ってしまったが、上の写真のワンコ(オランダで撮った写真)のように、ちょっとリラックスしないとね😊

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