#12 時限遺伝子爆弾

ウチの家族はデリカシーのない人が多い。

デリカシーがないと一言に言ってもさまざまだな、ウチの場合は軽率な発言が多いタイプになる。まぁ、祖父母・両親の世代と、私たちの世代で価値感が異なるのは仕方ないとしても、発言する前に「流石にこれは言い過ぎかな」とか「この子の世代には合わないかな」というブレーキがかからないことが多い。

どこの家でもありそうな「早く結婚しないと行き遅れるぞ」とか「ずっと会社勤めで結婚しないとか、お前お局になる気か」とかは、よく父から言われており、祖父もそれに準じたことを言うことがあった。

もちろん、言われた側としては腹が立つけれど、まぁそれは相手の価値観と私の価値観が違うことへの不理解に対する苛立ちでしかないので、私としてはイヤな顔をするだけにとどめている。これが最善策とは思っていないが。

一番身近な父方の肉親達でこんな感じだが、もっと離れた親戚の会話も遠くから聞くに、そうなのだろうと察するにあまりある。

法事なんかで集まった際に、私が椅子を運んでいると親戚のおじさんが「ダメだよ、女の子には運ばせられない」と言って椅子を取り上げた。もちろん、本人としては善意だろうし、私もそう捉えたが、他の親戚のおばちゃんが「あ!今はそういうの時代遅れよ!」と制しているのを見て、まぁちゃんとそう言うべきだよなとも思った。おじさんは「良かれと思って……」といった雰囲気であまり納得していないようだが。そりゃそうだ。

そもそもヘテロではないセクシャリティを持ってる身の上であろうとなかろうと、昨今の社会的ジェンダーの捉え方の急速な変化にうまくついて行けているのは、若者ならではの柔軟性による特権ゆえとも思うから、理解しよう・受け入れようという姿勢があるだけで御の字とも思う。その一方で「まぁ、言っても理解できないだろう」という傲慢な諦めが心の内に無いかと聞かれると、それは嘘になるだろう。

変なセクシャリティを抱えている以上、こうした発言に苛立つことも多かったし、10代の頃はそういう発言の一つ一つに激昂し、泣き喚き、地団駄を踏んだものだ。
家族の不理解やデリカシーの無さを呪って、早く一人になりたいとどれだけ願っただろう。

自分が一人暮らしを始める直前だったと思う。家族と夕食の時間に、思い切ってカミングアウトしてやろうと思った。

これは、自分への理解を深めて欲しいという求愛行動というより、溜まりに溜まったそれらの鬱憤に対する憂さ晴らしでもあった。残り少ない穏やかな家族団欒に、水でもさしてやろうと思ったのだろう。

私がふいに「私、男とか女とかどうでもいいんだよね。好きになれば誰でもいい」と言うと、祖父も父も、祖母も母も、声を揃えて言った。

「うん、知ってた」

そしてそのまま話題は別のものに変わって、そこにはいつもと変わりない団欒の時が流れた。
底意地の悪い企みが不意にされて、私は呆気に取られてしまったが、同時に少し嬉しくもあった。なぁんだ、単純に不理解なんじゃなくて、向こうの価値観で行動していただけか、と。

今、30代を超えてひしひしと新しい時代の潮流に自分が少しずつ取り残されてる実感を覚え初めている。もちろん、頑張って追いつこう、理解しようとする反面、いつか私もかつては憎んで憎んで仕方のなかったデリカシーのない発言をするババアになるのだろうという不安も覚え始めた。既に、もうそういう発言や行動をしてしまった覚えすらある。

軽率な発言をする性質が遺伝的にあるとしたら、一体いつそれが爆発するのだろう。

ときどき、それが怖くて仕方ないときがある。

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