#5 繁華街の隙間で

人生を豊かにするものとは何だろうか?

友人、恋人、家族など人とのつながりか。
金、名声、地位などの富だろうか。
それとも、シンプルに”愛”だろうか……

私は”謎”こそ、人生を豊かにするものだと思う。

知らないことや分からないことは、すぐに調べて答えの出せるこの時代において、あらゆる英知を駆使しても理解の出来ない謎があることで人間の本能として備わっている”好奇心”が刺激され、活動的になり、そしてその謎に翻弄されながら新しい世界を見つけ出せる。

”謎”こそ、自分の世界を広げる足がかりなのだ。

私は、この”謎”のあるところが大好きだ。
しかし、この現代において、ましてや変わり映えしない日常の中でどんな謎があるのかと言う人もいるだろう。
私が導き出した答えの一つが「繁華街」だ。

繁華街と聞いて良いイメージを持つ人は少ないかもしれない。
酔っ払いが暴れて騒ぎ、ナンパや痴漢が横行し、酔いつぶれた人が道端に吐瀉物を撒き散らす……それも一つの事実だ。

しかし、私はそれ以上にその繁華街に生きる人々の知恵や、多彩な背景を背負った人々の話、思いもつかない行動と言動を繰り広げる異人たち、そういった存在が持つ”謎”さえあれば、他はどうでも良い。

もちろん、美味しいお酒や美味しいおつまみも大好きなので、それらと一緒にこうした不思議な出会いがあると、たまらなく愛おしく、嬉しくなる。

特に愛しているのが蒲田だ。

蒲田には歌舞伎町や渋谷などのザ・繁華街にはないものがある。
それは「これから」と「おわり」が同居していることだ。

京急線沿線に大きな大学やキャンパスがあることで若者が多く、また近くに羽田空港があることでそこで働く人達も多く暮らしている。
まさに「これから」を生きる若者も多いのが蒲田だ。

その一方で、同じく沿線に競艇場などがあることでそこで日夜勝負に繰り出す熟年層たちや、長年この街に暮らしている人々も多くいる。
ある意味で人生の終盤をさらに楽しむ「おわり」の人々も蒲田の魅力の一つだと思っている。

そんな両極端な人々が混在しているのが蒲田の魅力だと思う。
それに加えて、国籍不明の移住者たちや職業不詳の人たちも混ざるから、よりカオス度は増していく。

私が繁華街が孕む謎めいた存在に見せられたきっかけは蒲田のとあるセンベロ居酒屋で飲んでいたときのことだ。

その居酒屋は立ち飲みで、疲れきった仕事終わりのサラリーマンや、授業終わりの大学生や専門学生が集まる小さな店だった。
その日、トリマー志望の大学生がペットのミニチュアダックスフンドを連れて居酒屋の前に来ており、客のサラリーマンたちがモフモフしながら寂れた心を癒やしていた。

その中に、ツルツル頭の熟年男性がいた。
見た目はプロレスラーの武藤敬司に似ており、襟ナシのシャツにステテコ、サンダルという、バカボンのパパ一歩手前のコーディネートで固めていた。

正直、カタギじゃないかもしれない見た目だ。

そのバカボン武藤が私の隣で酒を飲み始めた。
「カタギじゃなかったらどうしよう」と思う反面、それ以上に私は彼に関して気になることがあった。
彼は財布を入れるカバンも持っていないのに、小さな桐の箱をそのまま剥き身で持っていたのだ。

その桐の箱はへその緒を入れるモノよりも大きく、茶器を入れるよりは小さい、文庫本くらいの大きさで、京極夏彦の本より少し薄いくらい。

桐の箱は一切の汚れもなく、言っちゃあ悪いがバカボン武藤の見た目からは想像しにくい美しい箱だった。

バカボン武藤は私にこう話しかけてきた。
「おめぇ、何飲んでんだ?」
「ビールですね」
「いくらだ?」
「250円ですね」
「おめぇよぉ、安くビール飲みてぇだろ?そしたらよぉ、ションベン横丁行くんだよ、すぐそこだからよ!そこだとビールが150円だぜ!」
「どこなんですか、ションベン横丁?」
「そこだよ、そこ!ションベンくせぇからすぐ分かるぞ!」
「近いんですか?」
「おぉ、ションベンくせぇぞ!」
そのションベン横丁が具体的にどのへんなのかアレコレ質問したものの、結局具体的なことは一切分からないまま、バカボン武藤の支離滅裂な話が続いてしまった。

私は本題を聞いてみることにした。

「ところで、その箱はなんですか?」

すると、酔っ払ってトロンとしたバカボン武藤の目がキラリと光り、ニヤッと笑うとこう言った。

「見てぇか?」

私がうんうんと何度も頷くと、バカボン武藤はゆっくりともったいぶるようにして、その桐の箱を開けた。

中には紫色のサテンの布で覆われた下地の上に、純銀製とひと目で分かる2組のお猪口がキレイに収まっていた。
お猪口には菊の紋が彫られていた。

「これは……?」
「今日なぁ、オヤジの遺品整理だったんだよ!」
「何か記念のものなんですか?」

ところが、バカボン武藤はそれ以上のことは教えないまま、再びションベン横丁の話へと戻っていってしまい、気がつけば、バカボン武藤はどこにあるかも分からないションベン横丁へ向かって忽然と姿を消してしまった。

あとに残ったのは永遠に解けない謎だけだ。

だから、私は今でも時々あの桐の箱の中身について思いを馳せてしまう。

その”オヤジ”というのは実の肉親の”父親”のことなのだろうか、
それとも所属している組でお世話になり、
あらゆる死線を共にかいくぐってきた”オヤジ”なのだろうか。


あのお猪口がどういう経緯でその”オヤジ”の手元に置かれ、
お猪口そのものも一体どういう品物なのかも永遠に分からないまま。

きっと、死ぬまでそれは分からない。

だからこそ想像は膨らむばかり。
あのバカボン武藤も遺品整理の後ということは”オヤジ”をつい最近亡くしているということになる。
それなのに、あんなに明るく居酒屋で酒が飲めるものだろうか。

嗚呼、謎めく繁華街。
その美しい夜が、時々とてつもなく愛おしく感じるよ。


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