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埋められない穴

母の死から、2ヶ月が経とうとしている。

その間、悲しみはどう変化したかと言うと、とりたてて変わったようには思えないのが正直なところだ。母の不在の存在感は相変わらず大きいし、涙は新鮮さを保ったままあふれるし、むしろ母への恋しさは日々募る。

固形物が一切喉を通らず、水分しか摂れない、というのは翌日だけで、残された家族や親族がみな集まったことで日常的な生活活動は戻ってきた。

だけれど、父にも、兄たちにも、友人たちや自分のパートナーにも埋められない穴が、深い深い穴がそこにはある。

母の死を経験して、家族の死の描写にとても敏感になった。特にエッセイなどの、以前の私なら心を素通りしていたような表現が、ものすごくぐっとくる。私の中の悲しみが、そのとき書かれた著者の思いとシンクロするのだろう。

私と母は、ごく一般的な関係性で、娘一人なので母との距離はそれなりに近かったけれど、心配性で知りたがりの母のことを疎ましく思う気持ちは世間一般と同じくらいあった。それだけに、こんなにも母の死を悼む気持ちがあることが自分でも驚くほどで、その度に、母という存在は本当にただいるだけで大きな意味を持つのだなと実感するのである。

母は偉大だというのは、私の場合にも当てはまるのだ。そのことを、母を失って強く実感することを寂しく、同時に愛しく感じる。

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