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歌が尺度を連れてくるとは

「時間が掛かってもかまいませんので、何処が悪かったのか気が付いた所を教えて頂けないでしょうか?」
随分前に失礼を承知でいくつかの短歌と共にミルクさんにお尋ねしたことがあります。
というのも、投稿しても選にもれてしまうことが何年も続いていたので、このまま創作を続けられるものだろうかという迷いが生じてしまったからなのです。

同じような心の立ち位置で一首の歌を読み解くことはたいへん難しいことだという忠告を聞いていましたが、それでも相手がどういう読解をしてくれているのかが気になってしまうというのは、まだまだ私自身の勉強が足りないのだろうと自覚せざるを得ないのですが・・・。

叱られる覚悟をして待っていた私にミルクさんから届いたメールは、とても意外なものでした。

選ぶ人の物差しが足りていないから、これらの歌を測ることはできません。心配無用。」

てっきり此処をこうしなさいとか、この方が良いと言われると思っていたので、何だか少し拍子抜けしてしまいました。全部ボツになった歌を送っていたのですが、アドバイスはほんとうに些細なことだけで、そのままでいいですよと添えられていたのです。

「選者に合わせる必要はない」というミルクさんの持論を伺っていても、頭の中で今ひとつピンとはこなかったのですが、「物差しが足りていないから測れない」と言われると目から鱗というか、妙に納得できてしまうから不思議なものです。

私も大いにミルクさんに影響されて、「自意識の悪魔」と決別することを心がけてきました。自分に纏わり付かない事象とはどういうものなのか、自分にしか解らない形容や修飾とは何なのか、普段の感覚から1オクターブ上がるのではなく、1音や半音だけ上がるような、簡単に想像できる感性や感覚とは何なのか、とても悩みながら考えました。

まだまだだとは思いますが、心配ないと言われたことに関してはとても心強い後ろ盾を頂いた気分で、もう少し気長に短歌を続けていこうという励みになっています。

メールの最後には、「歌が尺度を連れてくる」という言葉もありました。
歌は読める(正確に読解できる)人が限られているので、読める人と読めない人の間には異なる言語圏くらいの違いが生まれるとおっしゃっています。
つまり言葉や解釈が通じないことが頻繁に起こるというのです。
数える単位(尺度)が違うのだから、もはや測ることも評価することもできないということを私に解りやすく説明するために、物差しが足りていないとおっしゃったのでしょう。

ちなみに私が投稿していた「NHK短歌」の雑誌幾つかをミルクさんもお読みになられたそうですが、「読んでも勉強にならないので読まなくていい、読めない選者に投稿しても無駄です。」と言われました。
ミルクさんの中ではとっくに見極めがされていて、相手にもされていないという感じでした。それは編集者や選者、投稿されている一般の方の歌も含めて、全く違うステージの文芸になってしまって、求める短歌の本流ではないという違和感がそうさせているのでしょう。ビギナー向けだとはいえ、間口を拡げることを解釈を拡げることと勘違いしてしまうと、もう歌は自立できない程にふにゃふにゃになってしまう。現役の歌人達はこのことが全く理解できていないから、読みに関して圧倒的に鈍感だとおっしゃられています。

2/33 「浮かばない時にはじっと研いでいる空っぽにして刃を取り戻す」

ミルクさん 短歌のリズムで  https://rhythm57577.blog.shinobi.jp/