僕が歴史を好きになった理由は屏風?のおかげ
のっけからブラタモリのお題みたいなタイトルになってしまいましたが。
高校の途中ぐらいまで、僕は歴史が大嫌いな子供でした。
中学生の時、社会の先生を捕まえて「歴史って結局丸暗記した人が点数が取れるだけじゃないですか」なんて生意気を言っていたぐらいです。
小学生の頃は、その頃の男の子がそうだったように、軍艦や戦車、飛行機などのプラモデルを作っていました。
そのおかげで、断片的に知識が増えて、やがて戦争に興味を持つようになり、中学生の頃は戦記物ばかり読んでいました。
それでも歴史には興味は無く、第二次世界大戦と太平洋戦争にだけ詳しい程度でした。
高校生になり、ある日雑誌でウォーゲームなるものの存在をしりました。
大の大人が一週間も二週間もかけてやる、戦争のシミュレーションゲームです。
もちろん、ネットや家庭用ゲーム機など無い時代、全て紙とサイコロで遊ぶのです。
欧米ではかなりの種類のゲームが販売されているようです。
お年玉の残りの5千円を握りしめてデパートへ向かいました。
当時はとりあえずこういう時はデパートに行くのが鉄則です。
お目当てのものは無かったのですが、似たような外国製のボードゲームはありました。
しかし、手が出る値段ではありません。とにかく何でもいいから買って帰ろうと、手が出る値段のものを探していると 関ヶ原 という日本製のボードゲームがありました。
そのしばらく前にTBSで関ヶ原というスペシャルドラマを三夜連続でやっており、初めの方を観たのですが、登場人物が多いし歴史に興味は無いしで、途中で観るのをやめたのを思い出しました。
箱に入っているので中身もよくわかりませんが、とりあえずそれを買って帰りました。
家に帰って、早速説明書を読みました。
関ヶ原の地形が印刷された厚紙の板に、ヘックスという六角形のマスがびっしり描かれており、ところどころに武将の名前が書いてあります。
そこに武将や兵のコマを並べて、東軍・西軍交互に動かして、戦闘を行い勝敗を決めるのです。
西軍は青いコマ、東軍は赤いコマですが、南宮山と書かれたあたりにある西軍のコマは、何故か水色。東軍も徳川家康や南宮山の麓にいる部隊はピンク色。松尾山というところにいる部隊は全部黄色。何か意味があるのかな?
しかもルールを見ると、水色の部隊は東軍の攻撃を受けるか青色の部隊の接触があるまで動けない、ピンクの部隊は西軍の攻撃を受けるまで動けない。
島津義弘と書いてあるコマはそもそも動いてはいけない。
戦闘ごとに勝った方にポイントが入るのですが、東軍が60ポイント、西軍は80ポイントに達した時点で、黄色の部隊が味方になる。
なんだかわかりませんが、理由があってそういうルールになっているのだろうとその時は思いました。
その週末、いつも麻雀をするために集まる友人の家に、関ヶ原を持っていきました。みんなにルールを説明し、遊んでみました。みんな歴史はわかりませんが、シンプルなルールと、2時間ぐらいで勝負がつくので面白く、交代しながら夜中まで遊びました。
段々慣れてきて、将棋を指すように「じゃぁ、ここで黒田さんをこっちへ動かして」とか「島さんは見捨てるか」などと武将の名前を呼び始めたのですが、友人の一人が「ビョーブは少し下げて・・・」「ビョーブで勝負だ!」等と言い始めました。
気になったので「ビョーブって何?」と聞くと「この前テレビで関ヶ原やってただろ、あれでこの大谷さんが ビョーブ、ビョーブ って呼ばれてたんだよ」「屏風?あだ名か何か?」「多分そうじゃない?ミドルネーム的なものかもしれないし」
皆さんご存じの通り官位が刑部少輔なので「ぎょうぶ」と呼ばれていたのを、聞いたことが無い言葉なので、屏風と聞こえたようです。
更に友人は続けます「家康もさぁ、ナイフって呼ばれてた」「えーっ?江戸時代なのにナイフ?」(江戸時代じゃないし)
「バテレンとか居たから知ってるんじゃない」「強いぜ!みたいな意味だったのかな」と間抜けな会話を交わしていました。
さて翌日になり、徹夜した僕たちはてんでに帰路についたのですが、
あの友人が得意げに大名のあだ名を言っていたのがムカついてきました。
自分もテレビで観ただけなのに知ったかぶりしやがって、という感じです。
何か関ヶ原の事がわかる本でも売っていないかなぁと、途中で本屋に寄って探しました。
うわぁ、分厚くて大変そう、上中下で3冊もあるし・・・高くて買えないから、まずは1冊だけ買っていこう。
そう、司馬遼太郎の関ヶ原を手にしていたのです。
そこから歴史に興味を持ち始め、今に至るので、友人が漏らした 屏風 が無ければ、今の歴史好きの僕はいなかったかもしれません。
でも最初が司馬遼太郎の関ヶ原から入ってしまったので、いくら立派な人だとわかっていても家康は腹黒い狸親父で嫌いだし、直江状は実在するし、当然三成と兼続には密約があるし、秀秋は祟りで死んだに違いないし、幕末に長州が倒幕に動くけど、そもそもは広家のせいだろう!逆恨みも甚だしい!空弁当もいい加減にしとけよ。
みたいな偏った歴史好きになってしまいました。
そうそう、友人は「三成も何かあだ名で呼ばれてたんだよなぁ・・・思い出せないけど、バジトーフーみたいな・・・」と言っていました。
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