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見仏上人シリーズ 宮千代の話

僕の家から車で少し行ったところに宮千代みやちよという町名があります。これと言って何もない住宅地で、仙台市民でも名前も場所も知らない人も多いマイナーな所です。

宮千代ってなんだか昔の人の名前みたいだなと思った方、鋭いです。

このマイナーな町名ですが、ちゃんと由来があったのです。

その昔、松島の瑞巌寺に見仏上人けんぶつしょうにんという高僧がいまして、瑞巌寺には宮千代というお稚児さんがいたそうです。

この宮千代、とても賢い子で歌に秀でていました。時折歌を都の人に見てもらい、都人の間でも絶賛されていたそうです。
宮千代はいつか都に行って歌の勉強をしたいと思うようになり、ある日お寺を抜け出し、一路京を目指しました。

宮城野原(今の仙台市東部は、当時大湿地帯で萩が一面に咲いていました)に差し掛かった時、月明りに照らされた草原は露が光って、一面宝石をちりばめたような美しさでした。

そこで宮千代は「月は露 つゆは草葉に 宿借りて」と上の句を詠んだのですが、どうしてもそれに続く句がでてきません。悩み苦しみながら下の句を考えているうちに、馬から落ちて死んでしまいました。

そのあたりに住んでいた里人が哀れに思い、亡骸を葬り塚を築きました。

ところが、それから夜な夜な宮千代の幽霊が現れ、通りがかる人に「月は露 つゆは草葉に 宿借りて」と上の句を詠むようになりました。

これを聞いた見仏上人(別な僧侶という説もあります)は、ある夜宮千代が埋葬された塚へ行きました。

果たして宮千代が現れ「月は露 つゆは草葉に 宿借りて」と口ずさんだので、「それこそそれよ 宮城野の原」と見仏上人が下の句を継ぐと、宮千代の霊は消えそれからは現れる事も無くなったそうです。

これが伝わっている話で、今は公園になっている塚にも説明の看板があります。

ところが、これとは別なパターンの話も伝わっています。

昔このあたりに一人の老人が住んでいたそうです。
ある時、関東から一人の旅の僧がやってきて、水を所望しました。
すると老人は返事もせずに「月は露 つゆは草葉に 宿借りて」と口ずさんだそうです。

その後もこの僧は何度も立ち寄りましたが、その都度老人は同じ歌を口ずさんだので、関東へ戻ってから師匠にこの話をしたところ、師匠はこう言いました。「わしが若い頃、一人の男にその歌を教えてやったことがあるが、下の句を忘れたと見える」そこで僧は、下の句を師匠から聞いて、再び宮城野原へ向かいました。

老人に会うと、また「月は露 つゆは草葉に 宿借りて」と言い出したので、「それこそそれよ 宮城野の原」と言ったところ、老人は煙のように消えて、そこには白骨が転がっていたそうです。

さらにはもう一つ話があって、そちらはこんな感じ。

昔、松島寺(瑞巌寺の古名)に千代鶴という稚児がいましたが、人買いに誘拐されてしまいました。そして宮千代のあたりに来た時に、杖で打たれて死んでしまい、哀れに思った村人が塚を作って葬ったそうです。

実際のところ何があったのかはわかりませんが、どうもこのあたりで誰かがドラマチックな亡くなり方をして、それが脚色されてこういう話になったのかなと思います。

またいずれ記事にしたいと思いますが、最初に出てきた見仏上人ですが、この人物は実在した人です。

この上人、只者ではないのです。ちょっとした空海といった超人だと伝わっています。北条政子からの書状や仏舎利(本物説と偽物説があります)も残っており、なかなか面白そうですが資料が乏しく、松島の旅行記あたりと抱き合わせで書ければと思います。

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