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宇宙で人を救う医療機器[石橋 拓真]

NASAやJAXAによる月面有人探査計画や民間による宇宙旅行ビジネスの勃興によって急速に注目度が高まる宇宙医学。これまでは、宇宙飛行士の健康管理と宇宙環境での医学実験の両輪を基盤としてきましたが、近年、「機器開発」という新たな動きが民間から出てきています。それらを掘り下げてみると、実は地球上の医療課題との密接な結びつきが。今回は、医師として勤務される傍ら、NASAにも認められる宇宙医療機器を開発された石北直之先生のエピソードをご紹介します。

石北直之先生ご経歴

2004年 岩手医科大学医学部卒業
2010年 けいれん発作の初期治療のため、手のひらサイズの簡易吸入麻酔器「VapoJect」を着想し研究スタート
2015年 品川ビジネスクラブ第5回ビジネス創造コンテスト最優秀賞受賞
2017年 内閣府宇宙ビジネスアイデアコンテストS-Booster2017 ANAHD賞受賞
2018年 米国宇宙航空医学会(AsMA)R&Dイノベーション賞受賞
2020年 AMEDウイルス等感染症対策技術開発事業 3Dプリント可能な人工呼吸器実用開発研究プロジェクトスタート
現、国立病院機構新潟病院 臨床研究 医療機器イノベーション研究室長

超小型ガス麻酔器「VapoJect」

石北先生が開発されたのは、超小型ガス麻酔器「VapoJect」です。ガス麻酔器は従来120 kgもする巨大な電動マシンが主流でしたが、VapoJectはコアユニットが50 gと超軽量で、人力でも作動します。しかも部品は全て3Dプリンターで製造可能で、国際宇宙ステーション(ISS)での3Dプリントにも成功しています。しかしこのVapoJect、開発のきっかけは宇宙ではなく、けいれん発作の救急治療の現場にありました。

救急現場でガス麻酔?

けいれん発作とは、てんかん、脳卒中などの中枢神経系の疾患や、感染症、外傷、薬物中毒など様々な原因で脳の神経細胞が異常に発火して起こる病態です。重度の発作でけいれんが長引くと脳に大きなダメージを残してしまうため、発作時にはできるだけ早めに鎮めるべきとされており、ここで麻酔が必要になります。坐薬、静脈注射、ガス吸入など、麻酔にも種類があり、一長一短です。即効性と安全性に最も優れるのはガス吸入なのですが、巨大な機器が必要という点がネックで、救急現場に持ち出すのは難しい代物でした。

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手術室で用いられるようなガス麻酔器は大型かつ重量で多くの電力等を要し、扱いも複雑。
出典:STONY

「麻酔」の原点に立ち返る

石北先生は「ガス麻酔器を救急現場に持っていけないか」との思いから、「ガス麻酔の原理」に立ち返って小型デバイスの開発を試みます。その「原理」とは、(1)人工的に肺呼吸させる (2)麻酔液を気化させてガスを吸気に混ぜる (3)呼気に含まれる麻酔ガスをフィルターで除去するという3ステップ。これらを満たしさえすれば、最低限「一旦脳を鎮める」ための麻酔は行えます。

プロダクトを「宇宙」で飛躍させる

石北先生はこの基本機能を満たす簡易ガス麻酔法とそのためのシステムを発明。岩手県の精密プラスチック加工メーカーの技術援助を受け、金属およびプラスチックのプロトタイプ開発に成功しました。

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初期の金属とプラスチックでのプロトタイプ。
出典:STONY

研究スタートから2年、プロダクトを啓蒙させていく段階になり、注目度の高い「宇宙」領域に目を付けました。 「宇宙」と「救急」。この2つは、全く異なるようで実は「医療リソースの不足」という点で非常に似通っている現場です。清潔な水や薬剤といった資源は乏しく、搭載できる機器は少なく、高度な処置を行える専門家は居ません。そして何らか緊急性を要する事態に、現場にあるだけのもので何とか対処しなければなりません。

「宇宙仕様」への壁

この類似性に着目した石北先生は早速、開発した麻酔器を宇宙ミッションに採用してもらおうとしますが、ここで壁として立ちはだかったのが、「輸送コスト」と「薬事法」でした。人のいるISSに物資を打ち上げる際、おおよそコップ1杯分の水を運ぶのに30~40万円のコストがかかるとされています。有人宇宙船や輸送船に搭載される物資は「このコストに本当に見合う物かどうか」を厳しく精査されるため、輸送のハードルは非常に高く、「宇宙飛行士が病気にならなければ積載する必要がない」という逆説的な理屈が成り立ってしまうような場所です。そして、薬事承認されていないプロダクトは搭載する事が許されません。

「3Dプリンティング」という切り札

そこで先生が目を付けたのが、当時ISSで導入されたばかりの、Made In Space社製の3Dプリンターでした。宇宙にデータだけを送り、その場でパーツの作成と組み立てを行うなら、輸送コストがかからず、さらに宇宙には規制する法律がないため薬事の問題もクリアできる。「このアイデアは必ず理解を得られるはず」と確信した先生は自ら渡米。Made In Space社やNASAを直接説得し、ISSでのVapoJectのコアパーツ製造および動作実証実験のチャンスを得ました。結果は無事成功。救急現場のニーズから生まれた小型機器が、「極限まで低リソース」な宇宙環境に対応するために、「完全3Dプリント可能」という新たな特徴を獲得したのです。

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ISSへの伝送・出力実験に成功した人工呼吸器「E-mail Ventilator」。
出典:STONY

「宇宙仕様」が一転、パンデミック下での「地球仕様」に

地上での使用には過剰なまでに見えたこの進化。しかしこの制約を乗り越えたことが思いがけず役立ったのが、COVID-19のパンデミックでした。医療資源の逼迫が世界中で顕在化する中、とりわけ不足したのは人工呼吸器。しかし国を越えたヒトとモノの移動は制限され、医療機器の供給は世界的に滞っていました。そんな中、「3Dプリンターさえあればどこでも製造できる」という石北先生の麻酔器(麻酔器の基本機能の一つは人工呼吸器でしたね)は脚光を浴び、世界中から問い合わせが殺到。各国での薬事承認に向けて、国際プロジェクトが動き出したのです。

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3Dプリント可能な人工呼吸器実用開発研究プロジェクト「? Vent」。
出典:STONY

さいごに

地上でのニーズから生まれた医療機器を「宇宙仕様」に進化させ、それが地上での未知なる医療危機の克服に資する。麻酔器に限らず、宇宙での医療にはそうしたポテンシャルがあります。そうした事例が、もっと生まれていけばと思っています。



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石橋 拓真(いしばし・たくま)
1997年生まれ。東京大学医学部医学科5年。国際宇宙会議(IAC)2018 JAXA派遣学生。宇宙開発フォーラム実行員会執行部を経て、Space Medicine Japan Youth Communityの立ち上げ、運営に携わる。2019年より、雑誌「宇宙・医学・栄養学」編集委員。2020年より、スペースバルーンで炎を宇宙に掲げるプロジェクトEarth Light Project執行部。

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