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火星が燃えている-2018.8月号Twinkle Twinkle Anecdote 2

火星が夜空に燃えている。7月31日の大接近、ご覧になられただろうか?まだ遅くない。向こう数ヶ月は徐々に光度を落としながらも赤く燃え続ける。それを逃すと、次は2年2ヶ月後になる。

なぜ2年2ヶ月に一度なのか。陸上のトラックを想像して欲しい。内側のコースを走る青いゼッケンの地球は足が速く1年に一周する。外側のコースを走る赤いゼッケンの火星は足が遅く一周するのに1年11ヶ月弱かかる。そんな問題が小学校の算数であったかもしれないが、すると2年2ヶ月ごとに火星は周回遅れになり地球に抜かれる。それがつまり接近である。

しかし、トラックと違い実際の惑星の軌道は完全に並行ではない。地球の軌道はほぼ円だが、火星の軌道は楕円だ。だから、どこで青が赤を追い抜くかによって接近時の距離が大きく変わる。今年は15年ぶりの近さだそうだ。

子供たちが寝静まる頃になると、火星は東の空に姿を現わす。その赤さは他の星に比べて明らかに異質だ。最接近に向けてどんどん明るさを増していく様は、まるで南天の木星と夜空の主役の座を争っているかのようである。

前回の接近は2016年5月。この時、僕は火星を見た記憶はない。娘のミーちゃんが生まれて間もない頃で、幸せと忙しさでそれどころではなかった。赤い星は宇宙のすこし向こうから、隣の青い星にいまひとつ新しい命が生まれたことを、密かに祝っていた。


それから2年2ヶ月。火星がまた戻ってきたのは、その命に知性が宿ったことを祝福するためだろうか。

この頃はよく、ミーちゃんを寝る前に連れ出してアパートの屋上に見に行く。抱っこしながら「あれが火星だよ」と指差すと、彼女も真似て可愛らしい指で同じ方向を差し、 「パパが、おしごとしてる、かせいだよ」 と恐らく妻が吹き込んだ知識を逆に教えてくれる。宇宙そのもののように輝く黒い瞳をあの星へ、この星へと向け、吸い付くように見る。夜空を駆ける点滅する光を見つけると「ひこうき!」と興奮して叫ぶ。彼女の心は今、世界を理解し始めている。見られたいと欲する星々が、知りたいと欲する目と出会い、喜びにまたたいている。

次に火星がやってくるのは2020年10月。きっとミーちゃんは僕よりはるかに英語が上手になっているだろう。「パパのおしごと」であるマーズ2020ローバーが火星に向けて打ち上がる年でもある。一緒に打ち上げを見に行こうと思っている。どんな「おしごと」か、きっともう理解できるようになっているだろう。

ひとりひとりの人間は宇宙と比べればミジンコのように小さな存在だけれども、人生や生き死にを星々の運行と結びつけるのはそこまで奇異な考えではあるまい。事実、僕たちは生まれてからの時間を何歳と数えるが、「年」とは太陽系第三惑星が太陽のまわりを巡った数だ。人は地球の1週目で歌を覚え、2週目で言葉を覚え、十何週かすると恋に芽生え、その後の何十週かでさまざまの喜怒哀楽や幸不幸を経験し、八十週目あたりで思い出とともに空に還る。それが僕たちが「人生」と呼ぶものである。


人生を他の星で測ってみよう。

たとえば木星の接近は1年1ヶ月ごとだ。今年の最接近は5月だった。現在も南西の空に火星と張り合うほどの明るさで輝いている。火星より遠いのにより接近が頻繁なのが意外かもしれない。木星は足がとても遅く、太陽系のトラックを一周するのに約12年もかかるので、地球がほぼ1週するたびに追い抜かれるからだ。もちろん、接近時の距離は火星よりはるかに遠い。

来年の同じ頃に夜空を見上げると、また木星が見えるだろう。ただし、前年よりも少し位置が東にずれ、最接近の時期は1ヶ月遅くなる。そうして12年経つと干支と共に一巡りし、また同じ季節の同じ位置に見えるようになる。前回に木星が今の位置にあった2006年、僕は宇宙への夢に駆られ渡米して間もない留学生だった。その前の1994年、僕は宇宙少年だった。さらにひとつ前の1982年、僕は生まれたばかりだった。

現在、木星の少し東側には土星が輝いている。目立ちたがりの木星と火星に挟まれているせいで存在感は控え目だが、小粒のダイアモンドのように銀色に美しく光っている。

土星の公転周期は29年で木星よりさらに足が遅いため、来年のこの季節も見える位置はほとんど変わらない。一方、木星は少し東にずれるため土星に近づく。そして2020年には二つの惑星は仲良く肩を並べて夜空に輝く。2021年になると木星は土星のもとを去り、さらに東に動く。次のランデブーは20年後の2040年だ。

木星と土星が出会う日に生まれた子供は、その次に出会う時には成人している。2040年にはミーちゃんは24歳だ。どんな女性になっているだろうか。どんな人に恋しているだろうか。どこでどんな夢を追いかけているのだろうか。ちゃんと週末にはパパとママに電話をくれるだろうか。クリスマスには帰省してくれるだろうか。病気はしていないだろうか。幸せだろうか。

僕が3歳だった1986年2月、ハレー彗星が75年ぶりに現れた。実家のバルコニーから父と見た記憶がうっすらとある。次は2061年、僕は幸運にもまだ生きていれば78歳になっている。父はもういないだろう。夜空を駆けるほうき星を霞む目で見ながら、僕はどのように人生を振り返るのだろうか。

小野雅裕
技術者・作家。NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。
ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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