くだらないこと
友人3人で一日ノープラン。あなたならどうしますか。
5年間の大学生活を謳歌した僕にとって、日常的に訪れた日々。予定もなけりゃ、恋人もいない。そんな僕たちは毎日のように「何となく」集まる。目的は無い。強いて言うならば、暇を潰すため。
「なんかしよや」
「なんかってなんやねん」
「人生ゲームやりたいわ」
「そんな気の利いたもんないわ」
「ほな作ろや」
「ええな、駒止まったところに書いてあること、ほんまにやろや」
「おもろそうなん書いてな」
「高尾山頂でコーヒーを購入,120円マイナス、とか?笑」
「死んでまえ」
ここまで約30秒である。余談だが、高尾山頂で飲んだコーヒーは美味かった。
そうして創意工夫を凝らして遊んだ日々は僕の宝物だ。テーマパークのように遊ぶ場所が用意されてなくたって、俺たちさえいればどこでも最高の遊び場にできる。誇りにさえ思う。
しかし、そんな「くだらないこと」を理解してくれる人は少ない。「なんのためにやるの?」「YouTubeとかに動画撮って上げればいいのに」
ちげぇよ、と。
「くだらないこと」に意味を求めると、それは「くだらないこと」でなくなってしまう。
意味?ないから面白いんでしょ。
YouTube?収益も見せる相手もいないのにやるから面白いんでしょ。
「くだらない」という言葉について考える。
僕のレポートを幾度となく手伝ってくれた大先生 : 24時間いつでも一瞬で言葉の正確な意味を教えてくれる : 頭の上がらない : 僕にとっての大恩人がいる。
しかしながら、そんな「デジタル大辞泉」大先生に生まれて初めて反旗を翻したい。
くだらない【下らない】
まじめに取り合うだけの価値がない。程度が低くて馬鹿らしい。
大辞泉大先生は言う。しかし、この理屈で行くと、僕の愛した「くだらないこと」はくだらなくない事になる。だって僕たちは真面目に取り組んでいたから。しかし、「くだらないこと」に全力を出すという美徳を信じる僕にとって、くだらないことこそが「くだらないこと」であるべきなのだ。読んでくれている方(がいたとして)も脳みそが混乱してきたことだろう。僕も書いててだんだん分からなくなってきたし、ゲシュタルト崩壊でまともに読み返すことも出来なくなった。(それもそれでくだらなくて良い)
兎にも角にも、僕が言いたいのは、「くだらないこと」はくだらなくあるべきではあるが、そのくだらなさこそが評価すべき価値となるということだ。
うん。やっぱりよくわかんない。
それにこれ以上書くと「noteに記すこと」も''くだらなく''思えてきそうだからこの辺にしとく。
またいつか気が向いたら続きを考えよーっと。