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言葉の重み。

最近感じることは、同じ言葉でも、言われる人、言われる場面によって、その言葉の意味が変わってくるなあということ。

先日、高校時代の親友に久しぶりに連絡した。

高校時代には、いろいろ悩みを聞いてもらうことが多かった。でも大学に入ってから連絡を全然取っていなかったので、近況報告も込みで久しぶりに話してみようっていう気持ちだった。

僕は今、もう冬休みに入っているので、朝から晩までずっと資格の勉強に向かい合う日々を送っているが、彼は大学のテスト勉強だったり、合間でバイトをしたり、、いわゆる大学生といわれるような生活をしていた。

高校時代に、やらなきゃいけないことにオーバーヒートしかけていた僕に、彼はよく「無理しないようにね」と声をかけてくれていた。僕はよくこういう言葉に助けられて、忙しい日々を乗り切っていた。

今、僕は資格の勉強が大変なんだよねっていう話を彼にしていると、彼は「あんま無理すんなよ」と声をかけてくれた。

気遣ってくれる気持ちはとても嬉しいし、とてもありがたかった。

でも高校時代とは違うものを感じていた。

どこか、こういう時にはこういう言葉を伝えればいいって思われてるんじゃないかなって思ってしまった。

前は、同じ高校だから、いつもどんなことをしているのかってことが見えやすかったから、自分のことを知ってくれていたうえでその言葉をかけてくれているんだなって感じていた。

ただ今は、僕はずっと家で勉強を進めていて、彼とは全く違う生活をしている。自分と同じような境遇でもないし、最近の自分のことをよくわかってくれているわけでもない。だから、前と同じ言葉でも、どこか表面上のものとして聞こえてしまった。

勿論彼を責めているつもりはない。今の僕の生活なんて知ったこっちゃないだろうし、じゃあどうしてほしかったのか自分で考えてみてもわからない。それに、彼なりに僕のことを考えたうえでの言葉だったかもしれない。

彼が言っている言葉は、当時と今と全く変わっていない。でも僕の感じ方は大きく変わってしまった。

主観という殻に閉じこもってしまうと、僕には今の気持ちを理解してくれる人はいないんじゃないかっていう気持ちになったり、他人の気遣いにも喜べなくなってしまったのかと悲しくなる。

何が正解で、何が不正解なのかはよくわからない。でも、何か言葉をかけるときには自分なりに気を付けたいなって思った。


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