見出し画像

あいまいなシェアハウスでの3年間(未完)

2020年10月。約3年間を過ごしたシェアハウス「あいまいえ」を卒業しました。「卒業」というよりはメンバー全員の同意のもと「あいまいえ」は「解散」し、次のオーナーに新しいシェアハウスとして引き継がれました。2020年の総括としてこのシェアハウスで過ごした日々について書き残しておきたいと思い筆を執ります。とても個人的な話ですがお付き合いください。

この記事を読んでほしい人
・いつもお世話になっているぺぺを支えてくれている周りの皆さん
・シェアハウス・共同生活に興味がある人
・ちょっとした孤独や生きづらさを感じている人

10月末に書こうとしていたこのノートですが、自分の中でこの生活を振り返ることが難しく、時間がかかってしまいました。きっとあまりに自分の生活に溶け込み、自分と一体化しすぎて振り返ることが難しかったんだなーと思います。この時代においてシェアハウスで暮らすこと、人と生活をともにすること、人と関わり合いながら暮らすことのヒントになれば幸いです。

シェアハウスで暮らすことのメリットや、実際の暮らしについては以下のノートに以前まとめたので、気になる人はのぞいてみてください。


あいまいえとの出会い

あいまいえで暮らすことになったのは、この家の借主であるまっちとの出会いからでした。あるコーチングイベントに参加したときのこと、一人だけ着物を着て積極的に発言している子がいました。そう、まっちです。

「一人だけ着物を着て積極的に発言」というフレーズがもうパワーワードですが、彼の醸し出す雰囲気はとても温かく、懐深くみんなを受け止めてくれるあいまいえの見守り人的な存在です。そんな彼も今は洋服を着ています。時間が経つのは早いです。

彼とひょんなことから話すことになり、「わーくる」という社会人コミュニティを運営しているとのことを知りました。活動拠点であり、住居でもあったシェアハウス「あいまいえ」。人生で何度か直感的に「これだな」と思った瞬間があるのですが、このあいまいえを訪れた時もその瞬間の一つでした。このコミュニティには自分と同じ波長が流れていると思ったのでした。

画像17

あいまいえの風景。

気づいたら住人に

まっちと一緒に「あいまいえ」をつくった土肥ちゃんに口説かれて、気づいたらあいまいえに住むことになりました。まっちと土肥ちゃんは結婚をして、北鎌倉に移住、今では2人のかわいい女の子のパパ・ママです。私が3年間シェアハウスに暮らしているうちに気づいたら4人家族になっていました。これまた時がたつのが早い。

入居を決めたのは何か特別な理由があったわけではなく好奇心です。家賃も下がるし、この人たちとなら一緒に暮らしていけそうかなと思い入居したのが2018年の1月。とてもとても寒い冬でした。私が入居したのが3階の大部屋。男3人でふとんを並べて、お互いの目覚ましや寝息を共有する生活がはじまりました。主寝室と呼んでいるこの部屋は、本当に日当たり悪く寒いのですが、3年間眠れなかったことは一度もありません。自分のどこでも寝られる能力の高さをほめてあげたい。(いびきがうるさいと何度も苦情をいただいたのはご愛嬌)

画像4

あいまいえ恒例、その人にぴったりのお茶碗をくれる儀式。我ながらこのお茶碗は自分らしくて好きです。


「あいまいえ」に入って自分が「なんとなく孤独」だったことに気がつく。

シェアハウス独身のうちに一度経験してみてほしいです。いや結婚したってシェアハウスしたって良いと思います。

私が「あいまいえ」に引っ越す前に感じていた感情は「なんとなく孤独」でした。当時の私は友達もいるし(たぶん多い方だと思う)、職場で話す人もいる(職場もフラットで話しやすい環境)けど、休みの日目覚めた瞬間にふっと孤独を感じるのです。なんとなくおなかが減ったから近くのチェーン店でご飯を食べて、SNSで友達の日常を追う。なんとなく疲れたから寝て、昼過ぎに起きてなんとなくテレビを見る。そんな不幸せではないけれど、なんとなく誰ともつながっている感じがしないそんな状態です。

一人が気楽な人はそれで満足なのかもしれないですが、ちょっとした瞬間に話したくなることを自分の中にとどめ続ける生活にしんどさを感じていました。今だから言語化できるけど、当時はその「なんとなく孤独」が何なのかすらわかっていませんでした。


そこにいることをただ認めてもらう

「あいまいえ」で暮らすことは、自分の存在証明にもなりました。私は比較的自己肯定感が高い人間だと思っています。両親がとても温かく、のびのびと育ててくれたおかげだと思っています。

だけれども自分で自分の存在を肯定し続けることはなかなか難しい。休日になにもしていない自分や、本当はやりたいことがあるのにできていない自分、仕事がうまくできない自分、そんな自分に直面した時に自分を認めてあげつづけることは、私には難しかった。

特に私は「価値無し」というメンタルモデルを持っていて、今までずっと自分が価値がない人間だと心のどこかで思って生きてきたし、価値を出すために頑張り続けてきました。詳しくは「ザ・メンタルモデル」を読むとよくわかります。この話は後日またしようと思います。

そんな自分で自分を肯定してあげられない自分には、「あいまいえ」のみんなの「おはよう」や、「ありがとう」が、そして「うるせえな」や、「早くしろ」までもが、自分の存在を認めてくれる大事な言葉でした。この3年間での一番大きな変化は、少しだけ自分のありのままをそのまま受け止められるようになったこと。今一人暮らしをしていますが、3年前の一人暮らしより、一人でいることにうまく向き合えるようになったと思います。それは3年間今は離れているみんなが自分の存在を証明し続けてくれたからにほかなりません。


一緒に住む人が誰なのかはとても大事

自分が育ってきた家族以外の誰かと同じ空間を共有してかかわりあって暮らす経験が、人生にもたらしてくれることは想像以上に大きいです。その反面その影響の大きさから、誰と住むかはとても大事です。

自分の仲の良い5人が自分のうつし鏡だというのは良く言ったもので、私も「あいまいえ」に一緒に住んでいた5人から呼吸をするように自然に影響を受けてきたんだなと思います。

たによっちゃんがつくるカレーが恋しくて一人暮らしをしてもカレーをスパイスからカレーを作っている自分がいます。M-1は2020年だけでなく過去3年分、マヂカルラブリー決勝10位の回までさかのぼりました。

みかんからは自分で料理をつくる楽しみを教わったし、家でもお店よりもおいしいロールキャベツをつくれることを教わりました。

ルカのいつも人をウェルカムする雰囲気や、ちょっとした心遣いが場を明るくして、人の居心地の良い空間をつくることができることも知りました。

たくやの暮らしを見ていると、別に何もしてなくたって、誰かに何かを提供していなくたって楽しく暮らせるし、充実した人生を送れることがわかりましした。

ポンからは自分から人とかかわること、自分で決めること、自分の信じた道を進む力強さを学びました。


5年後この生活を振り返って何を感じているだろうか

さて、色々と振り返りを書いてきましたが、やはり自分の中でこの3年間が何だったのかを言葉にすることはまだ難しいようです。自分がこの生活をどのようにとらえているのか、結論は将来にゆだねようと思います。将来この生活に意味があったと思えるよう、ていねいに精いっぱい生きていきたいです。「あいまいえ」にかかわった人たちで卒業制作文集をつくったので是非他のメンバーの記事も読んでみてください。ここの暮らしが多面的にわかると思います。


【備忘】ここからは思い出を写真で振り返る

画像1

企画したぺぺの友達を集める会(こんなタイトルで企画して恥ずかしいと思いながら、もう一回やりたいです。)


画像3

画像11

画像9

本を通して人とつながる読書会「ホンカツ」が始まったのもこの家からです。かれこれ3年ほど本と人と向き合い続けてきました。


画像5

家の近くでお花見。IBMの本社の明かりがともる中お疲れさまと思いながら乾杯。たぶんこの日、大喜利やってるんだけど、かまきちが本当にセンスない。


毎朝たくやがかける「シュガーソングとビターステップ」。この歌耳にこびりつきました。


画像6

ルカの誕生日?


画像10

宮崎で過ごしたKINAIYOに参加したのもここがきっかけ。


画像13

ちょっと1年前の集合写真。


画像18

にかちゃんとゆかりちゃんのいる日。


画像19

縁日企画。


画像20

いつもの茶碗の写真。


画像21

人と人との間を結ぶ。間結道場。


画像22

画像23

画像25

大島の自然に囲まれて。


ありがとう、あいまいえ。