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人に流されて生きる。自己紹介(幼少期から中学校)

人に流されて生きる

数年前、高校生向けにキャリアの講演でした
私の生き方についてテーマです。

一見すると、自分の軸がなくてダメなように見えますが
(私も昔はそう思っていた時期がありました)私はこれで幸せに生きてきました。

林一平(はやしいっぺい)
和になるようにという願いが込められ一平。
総画数14画なのがちょっとした自慢。
<略歴>
1992年生まれ。神戸出身。
・大卒で青年海外協力隊、フィジーで小学校教師
・有機栽培の農家としてビールの原料ホップを育てる(宮城県)
・社長がいない会社でほぼ1人社員として働く(北海道)
・神戸で小学校教師。特別支援学級担任。
・夫婦でフリーランスに。古民家シェアハウス運営。
・エチオピア人と会社設立。その後失敗。
新しい生き方、働き方を模索中

幼少期

もともとアトピー持ちで、小さい頃から大切に育てられた。
落ち着いた子で自己主張をするようなタイプではなかったが、なぜか班長とかは任されていた。

常に周りに気をつかっていて、好きなものを聞かれても、無難に生きるため周りの回答に合わせていた。

友達に流されてサッカーを始める。

当時、小学校には野球クラブしかなかった。
私の父が野球をしていたこともあるので、興味はあったが
私の苦手なやつ(やんちゃなやつ)ばかり所属していた。

4年生の時にサッカー部を作る動きがあった。
私は当時とても太っていて、部屋の中でゲームをすることが1番の生きがいだった。

ただ、私の仲の良い友達がみんなサッカー部に入るというので私も行ってみた。

初日で吐いた。

初日にグランドを何周かするウォーミングアップで
私は盛大に吐いた。

普段運動していなかった私にとって、ウォーミングアップはきつすぎた。

「もうやめよう」

そう思っていた。

吐いてまですることではない。笑

ただ、友達みんながやるというので、私もやることになった。

サッカーで人生が変わった。

サッカーを始めた私は、みるみる人生が変わっていった。

まずは体型。みるみる痩せていった。
そして、走るのがとても早くなった。
運動会ではアンカーを任されるようにまでなった。

そして何より、体が強くなった。
牛乳とたまごのアレルギーがあったけど、それがほとんど見られなくなった。

でも
サッカーは中学校ではやめようと思っていた。

ただ、辞める勇気がなかったのと、またもや友達に流されたのだ。笑

この流される話は、高校まで続く。
でも高校では流されすぎて◯◯◯◯になってしまう。

この続きはまた。


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