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ある種の、呪いの話

これは私がこれまでもこれからも生きていくにあたり、避けては通れない一生モノの問題の話。暗い話ではあるのでそこだけ先に謝っておく、すまぬ。
さて、今までも避けていたわけではないが目の前までこの問題というかちょっと横に置いておく、というのが出来ないくらいには目の前にある。
あ、とりとめない話にもなりそうなので構成など気にせず記するので読みにくいかもしれないすまぬ。
はい、では改めて。
今年の1月、いよいよ父の容体がやばいという事でちょっと覚悟した。病気で透析も始まりあまり良くはならないというか、どう考えてもいろいろ手遅れともいえる。とにかく、仕方がない状況。3月とかもどうなるのかなぁという感じではあった。自分の予定、子供の予定、諸々犠牲になるんじゃないのかなぁと親の死に目でも自分の心配ばかりした。あまりにも現実的に話が入ってこなかったのだろう。そんなことでGWも帰る予定はなかったが急遽帰省した。その時はすでに薬のせいで眠っていた。このまま死んでしまうかもしれないなあ、と、少し寂しくもなった。そのあといろいろ考えて、長期帰省することにした。幸いにも仕事が出来るというので実家の生活と両立している。
毎日は見舞いには行かなかったが、つい2日前の事。日に日に、無言ではあるがうなずくことで「イエスノー」の意思疎通ができるようになった。死の淵にいたというのに、頭もしっかりしていそうで、なにより。と思ったのもつかの間だった。母が「話せる?」と言うと、がさがさとなんとか息が声になった。「…とにかく出してけろ」とっても不機嫌そうな顔で私たちに訴えてきた。そうなると体についている管を外そうとする。握力が少し足らないがマジックテープ位はピリピリと音を立てる。看護師が横で「外したらだめよ」なんてなだめるも、置いた手をぐいっと振りほどくように肩を動かす。…なんちゅー失礼なやつなんだ。そんな風に見えた。糞爺である。糞の爺である。書いて字のごとくくっそじじい爆誕である。もともとの素質はあったと思う。聞けば「それパワハラじゃね?」というのを母にしていたようだ。それをへらへらとしながら母は私に教えてきたのだ。父が居ない家は仮にそんな手荒な扱いをされてもソファーですら「思い出」なのだ。話は戻るが。病室へ入った時、私の顔を見て怪訝な顔をされた。その意図はわからない。ここ大事。
何か私に不満でもあるのか?なんなのか。あくまで憶測だが。ここ大事。
すると帰りの車の中で母に言われたある出来事のせいだと言われる。
去年の夏に、父にチクチクと「シングルマザーは苦労そうなして顔をしてなんぼ。お前はまったく苦労はしていないラクばかりして」という「どういうことなのかね?」と思うようなことを言われる。まったく理解が出来ず、その中でも「普通にさえしていればいい」というのだ。常々「普通」というのは「人それぞれで一言では片づけられない二文字」という認識なので「普通」と言われても余計にピンとこない。そのうえ、先の話だ。まったく意図が分からない。苦労はしているとは自分では思わないが苦労させないように頑張っているのは自覚してもいいよな、と思うと、次第に腹が立った。
そして私が幼少期、少女期に父親である「お前」に苦労させられたことを思い出したのだ。だから私はつい言ってしまったのだ。
「普通なことをしなかったあなたに言われたくない」と。
父は当時の事はとっても反省していたらしい。だが、反省し、更生したとしても当時の理不尽な出来事で私(たち)がどれだけ傷ついたか?というのはチャラにはならないと思う。ごめんで済むなら警察はいらないよね、ということだ。ところが、どうだ。それがどうやら逆鱗に触れたらしい。まったく理不尽な状況再び、といったところか。わーわーぎゃーぎゃーと騒いだと思ったら、ゲームをテレビでしていた息子に「うるせえ!帰れ!」と理不尽にも怒鳴ったのだ。息子は普段男性がいる生活をしているわけでもなく、昨今の先生たちの姿勢は「怒鳴る」などしないことから、このような経験はほぼ初めてである、そしてさぞやびっくりしただろう。猫がヘビを見て即座に逃げるように2階へと駆け上がっていった。そして、帰れと言われたもんだから荷物をまとめていたのだ。私もそんなことを言われては居る意味がないのでそのつもりでいた。母は「どうしてこうなるの」みたいな感じだったか。覚えていない。ところがだ父が突然「…おれだって孫が可愛いのに…怒鳴ってしまった…うぐぐぐぐぐぐぐ」と泣き始める。まじなんやねんだ。あーあ、くそめんどくせぇし。と思いつつも、老いたじじばばに「孫」は生きる希望だと思うのでそれを奪ってしまうのはどうかなぁと思う部分はあったので、私は子供たちに頭を下げたのだ。「さっきはすみませんでした。まだ居てください」と。こんな理不尽あるかいな。父も謝りに行ったが、言い方がひどかった。「ごめんねてへぺろ。まだいでけろな」みたいなノリだ。ふざけんなよ…さっきのあれ、息子のトラウマになったらどうしてくれんだよ。と、言いそうになったが、丸く収めたかったので言わなかった。
私は息子の気持ちを犠牲にしてしまった、と後悔した。息子も「もう怒鳴らないならいいよ」という条件付きで予定通り滞在したのだ。
…という去年の夏の回想だ。
この時の話を母は帰りの車でしてきたのだ。
「ぺぺに言われたあのイメージだからあんな顔したんじゃないか?」
というのだ。…いやいや、あれは私は悪くないよな?しかなかった。それを言っちゃあおしまいよ、なんだろうけど、そもそも世間一般的なマスオや波平のような父ならばこんな話にすらなっていないのだ。はあ?と思っているとさらに続けてきた。
「大変なことはしたと思うけどそのあとは反省した様子だったでしょ」と。
いやいや、先も書いたがそこじゃないんだよ。「ごめんって言ってるんだから許してやんなよ」というこっちがいつの間にか悪くなっているアレだ。
なんで俺の悪者ターンなんだよ、自業自得だろうが。
「自業自得だよね」と言うと、もう覚えていない。腹立って覚えていない。
そしてその夜、私はぐるぐると布団で考え始めたのだ。
あの怪訝そうな顔は私なのかぃ、と。そのあとの悪態もセットだ。
どうにもこうにもモヤモヤする。そうだとしたら、非常に悲しい事になるのかなぁと思うとどう昇華していいのかわからなくなり、思わず岡田斗司夫先生の動画を見たのだ。悩みを整理するというので、頭の中のモヤモヤをテーブルの上に全部乗っける作業が必要、などなど「やってるやってるよ、わたしもやるやる」と思いながら少しずつぐちゃぐちゃを解いていく。
私が放った「普通の事はしてくれなかった」果たしてそうか?と。だとしたら、入院前のおそらく最後の電話になるであろうあの日の会話に矛盾が生じる。「ああ、ぺぺか?家なのか?(いやまだ仕事でこれから帰るよ)ああそうか。遅くまで大変だな。あー、今日から入院することになってさ。いろいろ検査だり透析だりするんだっちゃ。ま、どうなっかわがんねえげどや。ま、あんだもこのあと飲みにいがないで帰らいよ」
疲れて飲みになんかいかないよーと笑うと「笑笑。んで気ぃつけでな」と自分の方がよっぽど危ないってのに娘の心配するのかぃ、と思いながら電話を切ったことを、思い出したのだ。
ちょっとスクロールして上に戻って欲しい。怪訝そうな顔をした理由。
…憶測にすぎなかったのだ。ここにたどり着くまでだいぶモヤモヤした。その中でも「死んでも解決しない」という身も蓋もない事を思い浮かんだりして。何かこう、腹が立って収まらない感じだったのだ。
そしてそれに気づいた時にまた新たな問題だ。
母だ。母のあの一言がなかったらもっと違う面白い理由が大喜利のように浮かんだはずだった。「太ったな」なのか「なんだい孫じゃねーのか」なのか。笑える理由だったはずだ。ところが、あろうことか話を蒸し返してきた。一番の元凶は隣にいた母なのだ。これはまた大変だ。というか最悪だ。死んでも解決しない、ものの、いつまで母の言動思考に悩まされるのか?と思うととっとと一緒に召されてくれやぃと思わなくもない。
私の中ではあの日の出来事はすでに済んでいる。もしかしたら父の中でも済んでいる問題なのかもしれない(理不尽に怒鳴って涙を流して即反省した様子だったし)。だとしたら、なぜわざわざ仲たがいさせるようなあの出来事をまたゾンビのごとく蘇らすのか、それこそ意図が分からない。
母と私は常に空中分解する。私がいくらかみ砕いて話したところで感情論になるからである。あの日の事をもう話さないで貰えないか?と説明しようかとも思ったが、うまくいかない未来しかないので、ここは話さずスルーしようって思う。それでも何も言わないことでさらにチクチクしてくるだろう。頭が悪いからパンパンに毒が入った風船を頭からかぶらないと気が済まないとは思うが。そして自滅するのだ。孫にも一生会えないくらいに。
とはいえ、じゃあ父に何にもなかったかのようにお見舞いに行けるか?というとやはりそう簡単には私が許せないのだ。今、あの人は、いろんな先生や設備の元、生かされている。にもかかわらず自分の置かれている状況を
顧みず「ここから出せ。家に帰る。これはずせ」だのなんだのとずいぶんと先生や看護師たちを困らせていたようだ。人間ここまで生きることにどん欲になるとその人の本質がむき出しになるんだなぁと父を見てそう思う。
どこまでも迷惑かけやがって。としか、今のところ思えないのだ。
死んでほしいわけではない。死んでほしくないわけでもない。これは自然なことだ。親が子供より先に死ぬのは、当然なのだ。それをどこまで理解できているか自分でもわからないが、そういうもんだよな程度には理解している。これは、仕方がない事なのだ。仕方がない日になるのだ。嫌だとか寂しいとか、そういう次元の話ではないのだ。今日までお疲れさまでした。としか、まとまらないのだ。
父の嫌な面を一度見ているので、二度目のお出ましで少々がっかりはしているんだ。そしてそれは久しぶりの嫌な一面であるから、最後くらいはいつものように楽しく逝ってくれよと思うんだけど、イライラが止まらないんだろうなぁ…。頼むから今を受け入れてくれよ。これ以上、嫌いにはなりたくないだけなんだよなぁ。。。

はみだし小話「孫と父」

先の理不尽な振る舞いを見て、今回のことでさすがに素直に心配はしないんじゃないのかなぁ、と思っていた。GW私が帰省するのを渋っていたところ「息子も帰るって言ってるし」と妹からラインが届いた。え?お前、あれだけ怒鳴られてもじーじが心配なのか?!と。仕方が無いから帰省することにした。さらには通信制なのでPCとネット環境があれば高校は問題ないのでそれをいいことに「しばらく帰る?」と提案すると「うん」という。タイミング的には私のおばの法事で本来、我が家から誰も行く予定がなかったが、父がそんなことになっており親戚が車で行くからというので息子が「行きます」と手を挙げたのだ。ええ?!まじで?!と驚きつつも、その数日前に「マジで今回はマジでやばいから」というテンションで連絡を受け、会社に話を付け私も便乗して在宅セットを携え帰省したのだ。
こちらに来てからもお見舞いに私が行けないタイミングがあり母と二人で行った日の事。病院内はすっかり慣れたようで一直線にICUへ向かう。一人ずつの面会なのでいつもどっちが先?なんて話すのだが「俺が行く」と先に会いに行くらしい。…どうしてこんなにできるんだろうなぁと不思議でならない。普通、じじいに怒鳴られたらいくら身内でも嫌だろうが。と、思うのだが…。しかし、私は1つ懸念をしている。
『家族』という呪いにかかって欲しくない、と。家族だから、というのがあるならば、即座に捨ててほしい概念だ。いいんだよ、家族だろうが君を傷つけていい存在ではないしそれを受け入れなくていいんだよ、と。
だから、私の事も「ママだから」という理由で面倒見なくてはいけないということはない、というのを伝えたいのです。家族というくくりはあるにせよ「お互い一人の人間として生きようぜ」という感じではある。
だからこそ、自分のやりたいように生きている、みたいなこともあるけどな。

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