自分の選択を、認めてあげること。
最近、はっとしたことをタイトルにしてみました。
タイトルにした言葉について、自分なりの解釈を書いてみようと思います。
私は「自分の選択したことや決めたことを、その内容がどう転がったとしても、自分の正解として導いていく」ことを、自分の中で大切にしているのかな、と思っています。
この大切していることは、私が大学生以降、いろいろな人からの数々のアドバイスやお話から、影響を受けて出来上がった考え方なのかな、と思っています。
そして、これからも大切にしていきたい考え方だと思っています。
しかし、私は「自分の正解として導いていく」という過程の前に、自分にとって良くないことを自然にやっていたことに最近気づきました。
「自分の選択したことや決めたこと」が、良い結果として出た時、「自分の正解として導いていく」ことがすんなりとできると思います。
それとは反対に、悪い結果として出た時、それを後にはしっかりと「自分の正解として導いていく」ために行動していく訳なのですが、悪い結果として出た時にまず私は、思いっきり自分のことを否定していました。
「何でその選択したの?」「ダメだったやんか」など、否定の言葉は、一時的なものではあるかもしれませんが、ものすごく強烈な威力を持つものだと思います。
思い返してみると、そんな言葉をつい自分自身にかけてしまっていて、自分が1番信じてあげなければいけない自分のことを、全く信じてあげられない状況を作っていました。
そして、知らず知らずのうちに、自分で自分に強く制限をかけていました。自分がどんどん弱っていくのも納得です。
恥ずかしながら、そんなことを繰り返していた自分に気づきました。
結果はどうあれ、元々の「自分の選択したことや決めたこと」というものは、自分が一生懸命考えて出したことの表れであることが多いです。
それを否定することは、実は、その一生懸命だった過去の自分まで否定していることになるんですよね。
我ながら、自分に酷いことをしていたな、と思います。
では、どうすれば良かったのか?、を考えてみました。
それは、「自分の選択したことや決めたこと」に対して、「よくその選択に辿りついたね」「よく決断をしたね」と、まずは自分を認めてあげることなのかな、と思いました。
「自分の選択したことや決めたこと」に自信を持つぐらいが良いのかもしれませんが、そこまでできないこともあるので、自分を認めることを最低限、自分自身にしてあげるのでも良いのかな、と思います。
人間、誰しも後悔することがあります。
その出来事に対して、自己否定ばかりしていたら余計に辛くなるのでは、と思うし、後悔し続けることによって、自分の自己肯定感をどんどん下げることになると思います。
私は今回に限らず、このような経験をしてきて、全然自分のことを認めてあげられていなかったので、やっと気づいて良かった、と思っています。
もし、悪い結果として出てしまった時、前を向くまでの間に、自分のことを極力否定しないこと。
絶対に否定しない、としてしまうと、そのできなかった自分をまた責めてしまいそうなので、たとえ否定をしてしまったとしても、必要以上に否定をして自分自身を追い込まないこと、そして必ず何かしら認めてあげること。
これらを当面の間、自分との約束にしたいと思います。
自然にできるようになるのがベストなのですが、それまでは意識していこうと思います。
過去のいろいろな出来事を含め、どれも笑い飛ばせるようになるぐらい、人間として成長していきたいものです。
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