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ちゃんと、ちゃんと、は心の負担

(文章量:軽め)

ちゃんとしなきゃ
ちゃんとやらなきゃ
ちゃんと、ちゃんと、、、


私の中にすみついた思考。


では、

ちゃんとって何?

どんなふうにすること?

今のやり方じゃダメなの?

なんでダメなの?

誰かがそう言ってるの?

その人が正しいの?


これら、全部答えられますか???

”ちゃんと”発言に気が付いたら、その都度考えてみる。


ちゃんと
1.《副・ス自》すべきことをきちんと行うさま。「仕事を―する」。規準にかなって整っているさま。
 「ゆがめず―並べた」
2.《副》ぬかりなく。まさしく。
 「―知ってるぞ」
(引用:グーグル日本語辞書より)



すべきこと

このワードが出てきた時は要注意ですね。

“〜すべき”に汚染されると「ねばねば教」になっちゃう

ちゃんと=完璧なこと という概念があるわたしは、小さな”ちゃんと”が積み重なると、どんどん心の中が、”ちゃんと”で渋滞する。

そして、フリーズして、逃げる。

そんなときに、

世の中、100か0だけじゃないよ、世の中はグラデーション、白黒はっきりしないことも多い。

自分のできることは、60%でもいいし、30%でもいいし、10%だっていい。

今できることがその時の最善の100%なんだから、完璧100%を目指さなくていいということでした。

そう言われて、
今できる10%をその時の100%としてみたら、今の自分がこれが精一杯だと認められるようになってきた。

そして、これから先に120、150、200%と終わりない無限の可能性が広がる。

お尻を決めるから、そこと比べて自分の現在地を見てしまいがちだけど、

そう思えると、心の負担が少し軽くなる。

そして、10%できた今の自分を褒めてあげられるようになる。

一度、自分の”ちゃんと”が何を指しているのか、を見つめてみると良いのかもしれない。

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