見出し画像

隣人から友人への道を歩む

(中村龍道 志騁環保科技(深圳)有限公司会長)

文/本誌編集長 蔣豊

中日国交正常化からの50年は、長いようであっという間の50年であった。その間、中日経済交流が中日関係の安定化に大きな役割を果たしてきた。次の50年に向かって、日本企業は何をもって両国の友好的・安定的発展を促進し、世界の共通課題の解決に取り組もうとしているのだろうか。

先ごろ、日本企業として初めて中国・深圳の前海株式取引センターへの登録を果たした志騁環保科技(深圳)有限公司の中村龍道会長(ZANN CORPORATION GROUP)を取材した。

画像1

日本企業は中国企業と手を携えて世界市場に進出すべき

―― 深圳市は、中国の改革開放政策の経済特区として国内外から注目を集め、その注目度は上海等の大都市を凌いでいます。2021年11月、会長のグループ関連企業は深圳・前海株式取引センターへの登録を果たしました。御社はまさに経済を通じて中日友好交流の新たな一歩を踏み出したとも言えますが、今後、具体的にどのようなビジネス展開をお考えですか。

中村 今や深圳は「アジアのシリコンバレー」とも呼ばれています。15年ほど前だったでしょうか。私は急成長する中国を目の当たりにしました。同行していた中国の友人が、プリペイドカードでタクシー代の支払いをしているのを見て、アナログ派の私は衝撃を受けました。今考えると、この頃から既にデジタル人民元の基礎づくりは始まっていたのだと思います。そのような中国の経済発展を目の当たりにしてきた経験を元に、われわれはデジタル化を中心とした事業を展開していきます。環境、IT、バイオ、医薬、医療、健康食品、精密機器、エネルギーなどの技術を提供するとともに、先進技術を持ちながら認知されていない日本の中小企業のために、独自の優位性を備えたコア技術製品を深圳から世界に発信していきます。既にいくつかの技術を発信し、高い評価を得ています。業務提携や出資、投資等の協議に入っているものもあります。

いま、社会、経済、金融の構造は変化しています。日本の企業は速やかに認識を改め、アジア最大の市場である中国に進出するとともに、中国の企業と手を携え、世界の市場にも出ていくべきです。

画像2

中国・深圳の前海株式取引センターへの登録を果たした志聘環保科技(深圳)有限公司の中村龍道会長

隣人が友人になるには時間とプロセスが必要 

―― 中国の「改革開放」政策から40余年、日本企業が中国に進出する過程では成功だけでなく失敗や挫折もありました。会長はこれまでどのように中国ビジネスに取り組んでこられましたか。特に、人間関係や人脈の重要性について、どのようにお考えですか。

中村 先ずは「一儲けではなく、人儲け」の「開拓精神」で中国に渡りました。当初、中国でのビジネスは全く考えていませんでした。中国を知り、人間関係をつくることしか頭にありませんでした。

数年間は、ただ人間関係や信頼関係を築くことを考えました。気持ちに余裕がなく、挫折も味わい、騙されることもありました。日本の企業家の中には、そんな状況に出くわすとすぐに態度を変え、恨みや憎しみを抱く人もいました。日本では「十人十色」と言いますが、世の中には様々な人がいます。挫折や困難に遭遇した時は、文化の違いが問題なのか、言葉の問題なのか、社会習慣の違いからなのか、自身の行動が原因なのかを自問してみることが大事です。落胆することなく、冷静に、自身は隣人として中国に来たのであり、隣人から友人になるには、それなりの時間がかかるということを認識すべきです。そこで最も大事になるのが心の交流であり、忘れてならないのが「初心」です。当然、騙された時期もありましたが、10年間で何百回と日中間を往復する中で、根本原因は自身が日本と中国の文化・習慣の違いを理解していなかったことだと気づきました。また、電話やメールで伝わらない時は、顔を合わせることで信頼が築かれることを学びました。そして、当初の目標であった「一儲けではなく、人儲け」へと発展していきました。

画像3

西郷隆盛が中日間の深い友情を証明

―― 幾多の困難を乗り越え、仏教を日本に伝えるため渡ってきた鑑真は、日本人の誰もが知っています。一方、近代日本の礎となった明治維新で功績を残した西郷隆盛は、中国でも有名です。日本と中国は数多くの歴史上の偉人をお互いに尊敬し、学び合ってきました。両国の深い文化交流と文化の共鳴について、どのようにお考えですか。

中村 新中国建国のリーダーである毛沢東主席が、若き日に故郷を離れる際、西郷隆盛の詩を書き改めたという物語を聞いたことがあります。ところが、最初の句である「男児立志出郷関」はそのまま引用されていました。日本と中国の先哲には、志が遠大で、大局観を持ち、小事に拘泥しないという共通点があることを知りました。私の故郷の鹿児島県には、中国と似通った一面があります。鹿児島は日本の南端に位置し、辺鄙で閉鎖的な土地という印象をもっている人が多いと思いますが、実際は、アグレッシブで活力に満ちた部分もあります。中国唐王朝の僧侶である鑑真が、挫折を乗り越え、6度目の航海で日本に上陸したのが鹿児島の地でした。また、日本の戦国時代に西洋から伝わった新しい武器である鉄砲は鹿児島から広まりました。江戸時代の鎖国政策時も、鹿児島は密貿易により発展しました。徳川幕府末期、列強諸国が日本に開国を迫った際には、鹿児島(薩摩藩)と山口(長州藩)だけが列強諸国と戦火を交えました。そんな開かれた風土の中で育った西郷隆盛は、開かれた心で鹿児島から飛び出し、明治維新を主導し日本の歴史を変える偉人となったのです。西郷隆盛をはじめとする多くの維新の志士たちは、中国・清朝を教訓として、如何に西側の列強諸国から侵略を受けるという事態を回避し、当時の複雑な世界情勢の中で国を豊かにするかを考えていたのでしょう。翻って、梁啓超、黄遵憲、王韜など近代中国の知的エリートたちは、西郷隆盛から学んでいます。従って、歴史的観点から見て、西郷隆盛は日本と中国の深い友情を証明しているということができます。日中国交正常化50周年を機に、鹿児島の先哲から学び、これまで以上に、日中文化交流に貢献していきたいと思っています。

画像4

詹孔朝・駐日中国大使館総領事と記念撮影

「ギブアンドテイク」から「ウィンウィン」へ

―― 2021年11月、第76回国連総会第1委員会(軍縮・国際安全保障)の決議に、中国の打ち出した「人類運命共同体」理念が盛り込まれました。中国と日本は現在、エネルギー問題、災害対策、脱炭素社会の実現、持続可能な開発目標(SDGs)等、世界共通の課題を解決するために緊密に協力しています。両国の協力をどう評価されますか。

中村 そうです。日中両国には共同体意識が必要だと思います。「和すれば則ち共に栄え、争えば共に傷つく」です。われわれは「人類運命共同体」の一員であるべきなのです。

日本では、常に中小企業や個人による発明や技術革新が存在してきました。しかし、それらは利権構造によって潰されてきた事実があります。例えば、われわれは現在、深圳でCO2ゼロのサスティナブルエネルギーを開発していますが、発明者は日本人です。これまで、日本の様々な利権構造によって埋もれてしまっていたのです。

日本の様々な素晴らしい技術を「宝の持ち腐れ」にしてはなりません。世界の発展に役立てるべきです。SDGsに関連する日本の素晴らしい技術は、中国の資本、マーケティング力を借りることで中国国内からスピーディーに世界展開することが可能になると思います。それは日本を利することにもなります。

今日の世界では、誰が誰を支援するという考えを持つべきではありません。それは冷戦下の思考形態であり、支援を通じて相手を変えていこうとする戦略です。最後には根本的矛盾が露わになります。事業を始めるに当たっては、「ウィンウィン」を企図すべきです。ウィンウィンの事業は成長を望むことができますが、自分の利益だけを考えた事業は必ず行き詰ります。

日中関係の次の50年は、「ギブアンドテイク」の関係から「ウィンウィン」の関係に転換すべきです。これは企業家としての私の提言です。

画像5

デジタル化と金融安全保障の協力を強化 

―― 中日国交正常化50周年に際し、どのような思いをお持ちでしょうか。今後、中国にどのような貢献ができるとお考えですか。

中村 50年、半世紀というと長く感じますが、両国の2000年の交流の歴史を考えればわずかな時間です。

日中国交正常化からの50年の歴史で、私が最も感銘を受けたのは、正常化を成し遂げた政治家たちの大局観と決断力です。考えてみれば50年前、日本と中国はお互いが敵で、当時の日中関係は現在の何倍も多難でした。そんな中、中国の毛沢東主席、周恩来総理と日本の田中角栄首相、大平正芳外相、さらには鹿児島出身の二階堂進官房長官等、大局観をもつ優秀な政治家たちが「小異を残して大同につく」との非凡な決断力で、日中国交正常化を成し遂げたのです。

交流を深めていこうと思えば、感情に任せて事を行うことも、無関心でいることもできません。中国でビジネスを展開していく過程で、日中関係が冷え込んだ時期もありました。当時は「日本は嫌いだ。日本人は嫌いだ」という声を多く耳にしました。私は幾度となく過去の歴史を心から詫び、これからの未来を共に進みませんかと訴えました。ある中国の友人は「これまで日本人は好きになれなかったけれど、中村さんのことは好きになったよ!」と話してくれ、10年来の友人になりました。彼の会社は中国の発展とともに、大企業に発展しています。

中国には反日派が存在し、日本にも反中派が存在します。日中友好を促進するには、先ず両国の国民がお互いの長所と短所を知る必要があります。私はデジタル化がその一助になると考えています。

われわれは中国市場でデジタルを中心としたビジネスを展開していますが、デジタルとITは根本的な違いがあります。デジタルとは人と人を意味します。ITとは機械と機械を意味します。例えば、デジタルオンライン会議による「日中デジタル未来討論会」です。プライベートからビジネスまで、あらゆるジャンル毎、年齢毎に討論を交わすことが人と人の相互理解につながります。

民衆主導の民衆のための「日中デジタル未来討論会」が頻繁に継続的に開催されれば、両国国民の相互理解と友好交流はスピーディーに進むと思うのです。また、過去の誤った情報による、お互いの誤解をただすこともできます。

われわれの得意分野を活かした「次世代型日中デジタル化実施チーム」を確立し、日中両国の正常な発展に寄与していきたいと願っています。

最後に、現在、ロシアとウクライナによる戦争が非常に緊迫した状況にあります。アメリカとヨーロッパ諸国によるロシアへの前例のない金融制裁は、一国の金融安全保障の問題を浮き彫りにしました。これは現実であり、教訓でもあります。今後、日中両国は金融安全保障についても、大いに協力の余地があると考えます。

画像6

取材後記

中村龍道会長を取材する度に残念に思うのは、会長はお酒を飲まれないため、痛飲しながら語り合うことができないことだ。しかし同時に、会長の郷土や先哲、中国に対する真摯な思いに心を打たれ、「冷酷無情は必ずしも真の豪傑にあらず」の真の意味を知り、その先見性と着眼点に敬服するのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?