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役割の弊害

みなさん、こんにちは。

私は、「株式会社ピープルズ」という会社の執行役員及び経営企画部長であり、その子会社である「スーベニール株式会社」の取締役を務めています。
※私の自己紹介の記事はこちらをご覧ください。
⇒普通のOLだった私が、ある会社の社長になった、たった3つの理由。

仕事の中で、役割を決めると、
責任の所在もわかりやすくなり、同じことをたくさんの人が取り組んだりすることなく、会社にとって必要なことを適材適所で人が担当し、多くのことを進めやすくなる。

これが一般論かと思いますが、私は今、それは罠であり、成長を妨げるものであると感じています。
ちょっと油断している間に最近は私自分もその罠にはまっていて、最近、気付かされることあり抜け出せたので記しておこうと思います。

例えば、私に車や、薬を作る技術は、知識がない上、責任を背負うことができないため、難しいですが、こういった本当に技術なくできないことと、役割でないからやらない(できないこと)を、日常生活の中や仕事の中で、混同して考えがちです。

何年か前のことですが、社内に「ライター」という職種をつくっていたことがあります。そうすると不思議なもので、普段ならば自分たちで仕上げていた文章やそういった仕事を、ライターにお願いするようになりました。例えば商品紹介や、お知らせ、求人募集などです。ライターは、文章を作ることにたけているので、言い回しや文章のまとめ方は確かに上手かもしれません。しかし、誰よりも商品のことを知ってお客様に伝えたい人間の言葉ではなくなってしまったことにより、なんだかよそよそしいものになってしまったと思っていました。
これが私の感じている役割の弊害です。その役割の人が現れることによって、「本当は自分でもできることや自分の方がより当事者になれること」も自分よりふさわしい人がいるという突然の負け宣言と、やってもらえるならやってもらおうという逃げが生まれ、仕事の当事者意識と範囲の幅が狭くなってしまう、という現状です。

きっちりと誰が担当と決めていくと、安心感があるかもしれません。
しかし逆に、枠にはまりすぎてしまうと、その枠から枝葉が伸びて実際にはやったほうがいいことや、気付くべき仕事に気付きにくくなり、担当じゃないし、となってしまう。もうそうなっている時点で、その人の仕事の枠は広がらなくなってしまう。とてももったいないことです。

似たような事例でいうと、「今このプロジェクトを担当しているから、今は無理です」という声が打ち合わせで出たことがありました。これも、自分で前もって予防線を張って、自分の枠を閉じてしまっているいい例です。上の人間は(特にうちのように、人数も少なく、その人それぞれの仕事量が見えやすい環境で)その仕事量も把握したうえで、飛び込んでくる人を探しています。役割はそういったように、役割以外のことを食わず嫌いしてしまうという傾向も持ち合わせています。

極端な話をすると、私は会社の仕事は全て、自分が替われると思っています。(あ、社長業は、今の私の能力と経験では無理です。)
それは専門職であるデザイナーも含めです。クオリティはさがるかもしれません。時間がかかるかもしれません。本当に1人になったら、さすがに朝から晩まで起きて頑張っても、40店舗は支えられないと思います。笑。ですので、極端な話です。でも、本気です。
私は社歴もそれなりに長いので上に書いたような阿呆が言えますが、でも、うちの会社で働く社員には、そこまででなくても、自分の仕事の役割だけでなく、まずは自分が所属している部署、そして会社の事業、今後の展望などに想いを巡らせ、自分の想像と考えが及ぶ範囲で動かせるようになってほしいと思っています。

少し前に読んだ、サイバーエージェントの社員を紹介していく本を読んでいて、それぞれの社員の姿勢を見て、これぐらい本気で仕事に向き合えるようにならないと事業は成功しないなと思ったのと同時に、本気で向き合う土台と温かさと会社の面白さを感じ、ワクワクしました。

ですので、ここから私たち企業がベンチャー企業として、新しい事業を生み出していくには、自分も含めた皆の本気も必要ですが、そのための会社の土台も必要だなと感じています。

「なんでもやってやろう」の本気でコロナの世の中を見返してやりたい。

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