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私の友達

 雨が降るので気がめいるのか、バイオリズムが下降気味なのか、あれやこれや重なって憂鬱な今日この頃。
 

現実逃避は猫と戯れること。

 歴代の猫についてでも、書いてみよう。今まで五匹飼ったが、性質が穏やかと聞いて、すべて雌だ。

 初代は、今はなき西友デパートの前のスペースに、おじさんがかごに入れた小さな猫を前に座っていた。結婚したてで、子どももなくバブルの勢いで持ち家を購入し、動物を飼いたいと思っていたので、その真っ白くて鼻先がピンクの子猫をすぐにもらうことにした。おじさんが「ペルシャとシャムのあいのこ(今では差別用語ですね)だよ」と高級品種を出したのにも心が傾いたというのもあるが、まったくでたらめで、単なる日本猫だったが、容姿は美しかった。名前はペンキー。布張りのソファはぼろぼろになり、爪とぎで壁紙もはげたが、気にならなかった。

 しかし、一匹では寂しかろうと、譲渡会でもらってきた二代目がトラちゃん。二匹はすぐに仲良くなり、冬は互いにハート型に抱き合って寝ていた。トラちゃんのほうが、人懐こく、夫は、いりこを口にくわえ、トラちゃんに与えたりしていた。お転婆なトラちゃんに悲劇が起こるのは、もらってきて何年もたたないときだった。

 ある朝、部屋にいないトラちゃんを探すと、隣の家の庭で動けなくなっていた。どうやら二階の窓を開けて、ベランダの手すりにでも飛び乗ったのだろう。そのまま墜落したらしかった。病院で背骨が折れているレントゲン写真を見せられた時はさすがに泣けてきた。医者は大丈夫と励ましてくれたが、手術中も涙は止まらなかった。

 その後、トラちゃんはもう一度手術をし、それから何年か生きて九年の生涯を閉じた。脊椎損傷なので、おしっこを絞ったり下の世話も大変だった。それを一手に引き受けていた夫は、火葬場でバスタオルで顔をふいていたのが思い出される。娘は六歳。少し泣いた後、トラちゃんの毛を一束はさみで切りビンに入れていたが、今はどこにあるのやら。

 前後するが、ペンちゃんは、娘が生まれたとき、周りから「猫はアレルギーのもと」という強いプレッシャーをかけられ、小屋で飼うようにしたところ、ストレスから糖尿病になってしまった。インシュリン注射をしなければならなくなった私たちもストレスで、もう、自然にまかせようということになり、注射器も返したのだが・・・なんと、その後二十二年の生をまっとうした。医者の見立てで一喜一憂することもない。

 それから、一人暮らしの知人が引っ越しするので飼えなくなったという猫、ロッタをひきとった。それが、人にも慣れないし、いつもどこにいるかわからないし、家じゅうにおしっこをするし、大変な問題猫である。私は、  「ペンちゃんやトラちゃんのような猫」がほしくなった。もしかするとロッタも猫らしくなるかもしれない。

 庭で野良猫が六匹赤ちゃんを産んで困っているという人から一匹もらうことにした。それがラッタ。トラちゃんのようにとらじまだけど、足先と首が白く、それがアクセントになってかわいい。希望通り、性格もかわいい猫に育った。かしこくて、ドアのレバーをジャンプして押し下げ、自分で部屋の出入りができる特技も身につけた。ラッタは無邪気ににロッタに寄って行くがおびえて逃げるロッタ。

 寂しげなラッタ。ラッタのために友達を準備してやりたいと思っていたところに、また子猫情報が。ダンス教室のひとりが、カラスに襲われていた子猫を保護しているという。家に見に行くと、今までで一番月齢が低そうな小ささだった。鼻先が黒ずみ、白い毛に牛のような黒い斑点。太くて短い尻尾と耳と額も黒いひょうきんな顔だった。ミイちゃんと平凡な名前に。

 この子がくるとラッタが母性を発揮し始め、排便を促すように肛門をなめたり、毛づくろいしたり、よく世話をやいた。ミイちゃんはラッタのするとおりに真似て学んだようだった。ロッタは一切、我関せず。娘はラッタとミイちゃんの互いになめあっているうちにけんかになったり、互いが相似形で腹を見せて寝ていたりといった、いわゆる親ばか動画を撮り、私も見せてもらっては笑顔にさせてもらっている。

 そして、今一番の楽しみは、ミイちゃんと紙屑で遊ぶこと。紙をくしゃくしゃに丸めてポンと投げると、すごい勢いで追いかけくわえて持ってくるのだ。ぽいっと私のてのひらに投げ入れてくれるとき、やっぱりアイボよりかわいいのではないかと思うのだ。

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