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野イチゴ


 となりの家の境目に石垣があるのだが、おととし、その石垣の隙間から、突然、野イチゴらしき雑草が顔をのぞかせた。
 

そのぎざぎざの葉と、地味な白い小さな花を見つけたときは、ときめいた。もう二十年以上前にスイスの山で、人生で初めて野イチゴを食べたのが脳裏によみがえったからだ。
 

確かにこの花には見覚えがある、と確信し、実になるのを楽しみにしていたある日、根元からぽっきりと折れていた。雑草だから夫が刈り取ったと思い、すごい剣幕で問いただしたが、知らないと言う。昨夜、強風でも吹いたのかもしれないと、あきらめたのだが、翌年、また、芽吹いた。さすがに根性がある雑草だけあって、二、三箇所に増殖していた。今年こそと、膨らむつぼみを見ながら楽しみにしていたら、また、全部刈り取られていた。となりの人が、庭木を選定し、それが我が家にも落ちたからと、掃除してくれていたのだった。前年も、隣のOさんだったのか・・。

 そして、今年、あんなにきれいに刈り取られていたのに、野イチゴはまた芽吹いた。「ただ今観察中」などと標識をつけるのも嫌味だし、運を天に任せるしかないと、そのままにしておいた。
 Oさんちの庭の手入れも今年はなかったようで、生き残って、ついに待ちに待ったかわいい小さい赤い実をつけた。

 野イチゴ赤い実だよ、木陰で見つけたよ~と鼻歌を歌いながら、さっそく調べてみた。高速道路の下の空き地にもたくさん生えているのを見かけたから、よく聞く蛇イチゴなのかと思いきや、蛇イチゴの花は黄色で、実はおいしくないらしい。これは、白い花びらだからクサイチゴにちがいない。

 待つこと三日。実はインターネットの写真通り丸く赤くふくらんだ。そして、期待をこめて口の中へ。甘い。もちろん「あまおう」の甘さではないが、三年がかりの味だ。十分満足した。それから何日間か、次から次に実る果実に家族で楽しませてもらった。

 娘にスイスの野イチゴの味を覚えているか尋ねてみた。すると、酸っぱかった、と。よく覚えているものだ。でも、あのときは、道に迷って、道なき道を下っているときに見つけたので、イチゴどころではないという気持ちだったけど、と続けた。そんなこともあったっけ。まだ五、六歳の幼児には、山の散策が恐怖の体験として記憶に残ったようだ。
 

 わずかな期間だったが、野イチゴは小さな幸せの時間をくれた。


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