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首里城消失の受け止め方

10月31日の日が昇る前の2:00頃、首里城正殿から出火の警報が鳴った。

その日は、浦添市倫理法人会のモーニングセミナーの日であり、そんなニュースを知らずに、4:30に自宅を出て、セミナー会場に向かっていた。あわただしく、会場の準備を行い、モーニングセミナー朝食会が終了した8:00、ようやくスマホを見て、首里城消失のニュースに触れる。

首里城が燃えているのに、全く虫の知らせとか、そんなものを感じるスピリチュアルな能力もなく、明け方の夜空の異変を察知する余裕もなく、あわただしく、毎週のルーティーンとなったモーニングセミナーの運営で頭が一杯になっていた自分が情けない。

暗闇のなか炎上する首里城の姿は衝撃的であった。

その後、10:00から建築家協会沖縄支部のミーティングに参加する。皆、開口一番、その衝撃に対しての話であった。建築家協会として、建築家として、首里城再建にどのようにかかわっていくか、そんな動きが必然的に動き出すであろうことを予感した。

内地からは、おくやみのメールや電話が鳴る。

さて、出火の原因が気になる。ネットで検索すると、憶測が広がっている。
テロとしか考えられないという意見もある。

現場検証などで、原因が特定されるかもしれない。されないかもしれない。
そして、日本政府としこりのある沖縄県政との関係性も気になるし、中国の出方も気になる。幾分の政治問題にも関連してくる話であろう。

こういった受け入れがたい現実が起きた時に、どのように受け止めるべきか。いかにしてポジティブに受け止めうるだろうか。

私の受け止め方は、これだ。

「首里城の式年遷宮」

伊勢神宮の式年遷宮は20年毎に行われる。これは、20年毎にまったく同じものを作り替える事によって、伝統と技術を継承していく意味合いがある。

ポジティブに考えると、あらたに再建する事によって、伝統技術の承継が令和の世代に引き継がれる最大のチャンスが来た、と、うけとめるのだ。
令和の再建においては、オリジナルに忠実に再現し、首里城本体も世界遺産に含まれるようなものにする事もできるかもしれない。首里城の瓦は赤くはなかったという話もある。

スペインのサクラダファミリアのようにじっくりと再建に時間をかけてもいいだろう。その再建の過程が観光にもつながるはずだ。そう思いたい。

この首里城消失は偶然であろうか。まったく意味のない偶然なのか。いや、偶然ではなく意味があるのか。

そこに意味を見出し、最善の沖縄の未来にとって、この消失という出来事は必要であったのだ。そういう未来を見ていくのが大事であろう。

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