泄気の説(2)

用神にとっての泄気の爻が発動する場合についての説


通説に「用爻が泄気の動きに逢えば、作すこと消疎にして遂げる事を得ず」というのがあります.


具体的に説明します.

用神が子孫爻であったとします.このとき、子孫爻が生じる関係となっている妻財爻が発動していた場合、用神がその発動の爻に気をとられ、エネルギーが消耗してしまう方向に流れていき希望となる物事が成就しない、という意味です.

しかし、ここでよく考えてみましょう.

用神爻を剋する爻が「忌神」であり、動けば無条件に「凶」作用の働きです.
対して「原神」は用神の爻を生じる関係になり、動けば「吉」作用の働きです.
「忌神」を生じる関係が「仇神」で、これも「凶」作用の働きの仲間になり、吉凶の鍵を握っている場合があるのですが、この仇神を生じ、かつ忌神を剋する働きとなるのが、「用神の泄気」となる「閑神」です.

この「閑神」は凶星である仇神を生じるけれども、用神に傷をつける「忌神」を剋すので吉でも凶でもない、というのが原則であり、本来、用神の泄気である閑神が動いたからといって吉凶に直接影響はないというのが原則です.したがってこの最初に挙げた通説は実はあまり採用してはなりません.理由は単純で、判断に迷いを生じやすく、その動きが告げる本当の意味を別の観点から捕らえられないか発想の転換をし、場合によっては占的にポイントを絞り、大事なところに焦点を当てて思い切って捨てる覚悟が必要になります.

ただし微妙な問題として、仇神が動いている場合は、忌神を生じます。これははっきりと凶と現れにくいものですが、確実に問題を複雑化したり停滞させて、願望が成就しにくいよう作動するという事がいえます。

基本として「一爻変」として単独で動いている場合、なにか付随して別の観点から意味ある情報を提供していると視することが必要です.


もし、他の爻と合わせて動いているなど、とくに乱動している場合は、「捨てる」ということがとても重要になります.捨てる判断をする場合は、完全に動きそのものを無視していかねばなりません.

ただし発動爻とは、「力がある」からこそ動くという原理があると同時に、「動くこと」でエネルギーを消耗するという観点が同時にあります.これが実に力量の強弱を考えるに悩ましいところで、どちらの立場で見るべきかがわからず、「強いのか弱いのか」に迷いが生じてきます.この判断の迷いを起こさぬようピン留をする、つまりテーマにおける最も優先的な吉凶の柱を決定するのが用神の役目です.

たしかに、自分が生じる関係になっている対象が動いていると、気を取られ手助けしたくなるというのは、あたかも子供がいろいろ一生懸命何かをしていると側から見ている親は気を取られ手助けしたくなるというのによく似ているので、上記に挙げた通説もあながち当を得ていないとも言えないわけではありません.

この場合のように、用神自体が「発動」しているということになると、気を漏らします。これは泄気の説(1)にあげましたように、原神が発動していれば問題ありませんが、原神が発動していなければ弱くなります.

別に乱動卦の場合、物事が定まりにくい面があるということが起こり、行ったり来たりを重ねて吉凶がグラグラ揺れ動きます.

(そもそも、占った瞬間に「吉凶」が明確で一瞬たりとも揺れ動かず直線的に結果に結びつくということ自体、自然界では絶対にあり得ないことです.なぜなら物理学的にも電波や音や光だけでなく、存在するすべてのエネルギーは移動し伝わるため波動の形態をとって動いていきます.これは永遠性を保つべく、円環運動で世界はなりたっているからです)



卦の中の爻の動きが複数あり、動きが激しい多発時は、個々別々に精査すること以上に、大きな視点に立って「用神群の力量」と「忌神群の力量」の力の差異を見比べてその強弱を弁え、最終的に日辰の動向をしっかりふまえて「吉凶」を定めていきます.


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