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大企業とベンチャーのどちらを選ぶべきか? とインターンの学生に問われた話
ある日、僕が働く銀行のオフィスで、スーツを着た学生たちとすれ違った。彼らは少し緊張した様子で、先導する人事部の行員のあとを歩いていた。
少し前まで、僕もインターンの学生たちに銀行の仕事を教えるのを手伝っていたことを思い出す。しかし、少しずつ年次があがり名刺の肩書きが増えるにつれて、学生の前に立つ機会はだんだんと減っていった。やはりインターンの対応は、学生と年が近い若手の役回りということなのだろう。
学生たちの後ろにも、何人か、人事部の行員がついて歩いている。
その中に、顔見知りの若手行員がいた。思わず声をかけそうになったが、寸前で思いとどまる。
学生の移動中に、こうして行員が前後で挟むようにするのは、セキュリティを気にしてのことだったはずだ。下手に話しかけて足を止めるのも悪いな、と思い直し、僕は軽く会釈するだけにした。
向こうも僕を見て一瞬「あ」というような顔をしたが、同じく会釈だけを返してくる。
ふと、いますれ違った学生たちは、どんな質問を人事部のメンバにぶつけたんだろう? なんて、少しだけ気になった。
夕方にでも、人事部のフロアに顔を出して聞いてみよう。
そう心に決めて、僕は自分のデスクに戻った。
***
大企業とベンチャーのどちらを選ぶべきか、インターンの会場で聞かれた話
数年前の、夏のある日のことだ。
僕はその日、本部や都内の各店舗から集められたインストラクターの一人として、銀行の本店ビル内の会議室にいた。
弊行の魅力や、事業内容に業績、一日の仕事の流れなどを、インターンの学生さんたち10名に説明する。それが僕の役割だった。
学生さんたちがメモを取り終えたのを見計らって、僕は口を開く。
「それでは最後に、何か質問がある方はいらっしゃいますか?」
すると、緊張した面持ちで座る学生たちが、互いに探り合うように視線を交わし始めた。
こうした場での質問は、最初に手が挙がるまでが最も長い。
逆に、一人目の手が挙がると、二番手、三番手はささっと手を挙げてくるのもまた面白い。たぶん、この現象は心理学か何かで名前が付けられているかもしれないな。帰りの電車で調べてみよう、——なんて思いながら、笑顔を崩さず、待つ。
あと数秒待っても手が挙がらなければ、こちらから指名していこう。
「なんでもいいですよ。今日は、弊行について知っていただく場ですから、選考には何も影響しません」
そこまで言って、僕は手にしていたボールペンを置いて、手元のノートも閉じる。
「ほら、僕はメモも取りませんし、いまなら人事部のメンバーも席を外していますので、お気軽にどうぞ。チャンスですよ」
そう言っても、なかなか手は挙がらなかった。
さりげなく他のテーブルにも視線を投げてみるが、他のチームも似たような状態だった。会議室に沈黙の時間が続くのは、学生さんにとっても、インストラクター役の僕らにとっても、あまり良くない気がした。
僕は笑顔のままで言葉を続ける。
「ちなみに僕も、もう何年も前に皆さんと同じように就職活動をしましたが、当時のリクルーターに、給料とか、残業とか、いろいろと聞きました。そんな僕がこうして入行して働いてるんですから、たぶん、うちの銀行は給料も残業も、聞いていい会社です」
何人かの学生が、愛想笑いかも知れないが、少しだけ笑顔になった。弛緩した空気が、少しだけ雰囲気を柔らかいものにしてくれる。
さて、そろそろ指名しちゃいましょうかね、と口を開きかけたところで、「では、遠慮なく」と、一人の女子が手を挙げてくれた。
僕はほっとした。
このまま学生たちの心を開けないようでは、仮にも銀行で営業をしている身として、プライドが傷つくところだった。
「はい、どうぞ」
言いながら、彼女の胸元の名札をさりげなく確認する。●●さん。有名大学の学生さんだった。事前に聞いていた話では、今年のインターンの中でもずば抜けて優秀なのだという。
いままでの経験からいって、優秀な学生ほど、難しい質問を投げかけてくることが多い。僕はこっそり、手元の想定問答集をよく見える位置にずらした。中身はだいたい頭に入っていたが、それでもカンニングペーパーがあるとないとでは大違いだ。
「一番手の質問ありがとう。なんでも聞いてください」
彼女は「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。
そして続けられた質問は、
「私はすでに、インターンシップをしていたベンチャー企業から内々定を頂いています。そこの社員さんからは、若いうちは大企業の歯車として働くよりも、ベンチャーで日々成長をした方がよい、というようなことを言われているのですが……。
実際のところ、御行のような大企業で働くのと、ベンチャーで働くのは、どちらがいいと思われますか?」
と、いうものだった。
えーと。
大企業と、ベンチャーの、どちらがよいか?
人事部から渡されていた「よくある質問とその回答例」には、そんな想定問答は書かれていなかった。想定外問答もいいところだった。
***
「大企業の歯車」こと僕の答え
「いい質問ですね」と、考える時間を稼ぐために僕は言った。
しまった。なんか池上彰みたいになってしまった。
内心の動揺を隠すために、わかってますよ的な雰囲気を出すべく、うんうんと軽く頷いてみせることで、思考の時間を稼ぐ。
だが、困ったことに気の利いた答えが出てこない。そりゃそうだ。
僕はそもそも、ベンチャーで働いたことなんてなくて、新卒からここまで、ずっと大企業で歯車をやってきた側の人間である。
大企業VSベンチャーみたいな二元論に、どちらが良いとか悪いとか、答えを出せる立場ではない――と、そんな風に、「逃げ」の回答を打つことも考えた。
そこで、質問をくれた学生と目が合う。
いや、待て待て待て。たぶん、彼女も迷っている。たぶんこれは、真剣に答えないと、あとで後悔するやつだ。頑張れ僕。
お前だって、かつてはこうして、就職活動をする側の立場だっただろ?
あの頃の自分に語りかけるつもりで、口を開け――
「えー、新卒から10年ほど、弊行の歯車として働いてきた立場からお答えします」
肩をすくめてそう言うと、学生らが軽く笑ってくれた。
良かった。おかげで、僕の緊張も少しは解けた。
「まず大前提として、いま、日本も転職が”あたり前”の世の中になってることを知っておいて下さい。僕の周りにも、何人も他行や他業界からの転職者がいます。そして逆に、他行や他業界に転職する人もたくさんいます。
何が言いたいかと言うと、新卒時の企業選びは、ゴールではなく、ただのスタートラインということです。
キャリアは、この先何十年も続きます。ゴールが遥か遠くにあるレースのようなものです。途中に、分岐だっていっぱいあります。そう考えると、スタートの位置を大企業にしようがベンチャーにしようが、大した差はありません。
実際に働いてみて、少しでも”思っていたのと違うかも知れない”と感じたら、また職を選び直せば良いんです」
ポーズかも知れないが、何人かの学生さんたちが、熱心にメモを取り始めてくれた。少し嬉しい。
「この5年、10年だけでも、企業を取り巻く環境は大きく変化しました。
大企業もベンチャーも、少しかじ取りを間違えただけで、簡単に潰れてしまう時代です。
皆さんがいま、なんとなく憧れていて、キラキラと輝いて見える人や会社の、5年後、10年後の姿を想像してみて下さい。
もしくは、5年前、10年前にキラキラしていた人や会社の、現在の姿を調べてみるのも面白いかも知れません」
僕は銀行員である。気を抜いた企業がどれだけ簡単に沈んでいくかは、よく知っている。
「そのうえで、僕からの回答はこうです。
周囲の”こっちが良いよ”という声に惑わされず、自分の意志で、自分が幸せになれると思う選択をして下さい。
未来のことがわかる人間なんていません。5年後、10年後どころか、1年後でさえ、弊行が実際にどうなっているかは誰にもわかりません。もちろん、ベンチャーの方もどうなっているかもわからない。
結局のところ僕らに出来るのは、そのときそのときで、自分自身で精一杯考えて、”正解だと思った道を選ぶ”ことだけです」
***
完全に余談だが、——僕は、凡人である。
そのことは、他でもない僕自身が一番よく知っている。
かつて僕も、目の前に座る学生たちと同様に、就職活動を始めるにあたって「自己分析」などと称して客観的に自分を見つめ直してみたものだ。
それこそ、時間かけてじっくりと考えた。
しかし残念なことに、この身の中には起業できるようなスキルも、ベンチャーで活躍できそうな情熱も、フリーランスのリスクを楽しめるような度胸もなかった。そして何より、その現実をすんなりと受け入れてしまえる自分がいた。
僕は結局、大企業を選んだ。自分の手が届きそうな銀行をいくつか選び、実際に内定をもらった。
――そしてその選択について、10年以上が経ついまも、後悔はなかった。
***
「僕は銀行員として、10年近く働いています。これまで何社も、資金繰りに困っているお客さまをお手伝いすることが出来ました。これはたぶん、大企業に入っていなかったら、出来なかった仕事だと思います。
つい最近だって、社会的に意義のある仕事を頑張っているベンチャー企業に融資して、非常に感謝されました」
ピンチを乗り越えたお客さまの笑顔を見たとき、たぶん、僕も心からの笑顔になっていた。
もし仮に、僕がそのベンチャーに就職していたら、きっとあのピンチを救うことは出来なかった思う。大企業に勤めていたからこそ出来る仕事は、たしかにあると、そう思うのだ。
「まぁ、ベンチャーで活躍しているような優秀な方から見れば、僕は大企業の歯車の一つかも知れませんが、——それならそれで、頑張って意味のある歯車になろうと思っています」
それに、大企業には、大企業の良いところがある。
まず福利厚生がしっかりしているし、無茶な残業や休日出勤を強いられることもない。息子が生まれたばかりの頃は、周囲のメンバが気を使って早めに帰らせてくれたし、今も家族で夕飯を食べられることが多い。
会社の信用力があるので、住宅ローンだってかなりの金額を組める。
そして何より、僕の大切な家族に、お金の心配をさせてしまうこともない。妻と息子を守る一家の大黒柱として、この安心感は何物にも代えがたかった。凡人である僕には、これが何よりありがたい。
「……と、まぁ、僕個人の意見としてはこんな感じなんですが。すみません、頂いた質問への回答になってますかね?」
僕はゆっくりと、学生たちを見回した。
「あの、丁寧にお答えいただき、ありがとうございます。大変参考になりました」と、質問してくれた彼女は、深く頭を下げてくれた。
その後も、いくつかの質問をこなしたが、結局、その年のインターンシップにおける僕にとっての一番の山場は、この質問への対応だったように思う。
***
そして今、後悔がないこと
夜、少し仕事が行き詰ったタイミングで、気分転換も兼ねて人事部のフロアを覗いてみることにした。日中にすれ違った若手と、少し話をしたかったのだ。
しかし、肝心の相手は留守だった。手土産にと持ってきたお菓子をデスクに置いて、目に入った付箋に「インターンの準備、お疲れさん。僕の担当先で作ってる焼き菓子です。美味いよ」と書いて、ぺたりと貼っておいた。
***
少しあとで、僕のデスクのところに、人事部の後輩が顔を見せた。
手には、先ほど僕が置いた焼き菓子のパッケージを持っている。
「お疲れさまです。お菓子、ありがたく頂きました。バタバタしててお昼を食べ損ねたので、助かりました」
「お疲れさま。忙しそうだね。いまは、新卒採用の係だっけ?」
「ええ。最近は銀行業界を志望する学生も減っているので、人数を集めるのも大変で」
「でも逆境こそ採用チームの腕の見せ所、みたいな顔してるぞ」
「バレましたか。実は、毎日それなりに楽しくやっています。割と好きにやらせてもらってますし」
「大企業の歯車も、悪くない?」
と、僕は冗談めかして言った。
「ええ、ご心配なく。今のところ、こっちの道が正解だったと思っていますので」
「そっか。それは、何より」
たぶん、僕がいつになく笑顔になっていたからだろう。
人事部の後輩行員――数年前にインターンの会場で「大企業とベンチャーのどっちを選ぶべきか?」と僕に聞いたあの女子学生は、いま僕の前で、不思議そうに首をかしげていた。
転職やら独立やらベンチャーやら、とにかくSNSにはキラキラ輝く社会人たちの情報が溢れていますけれども、「大企業で働き続けている人」そして「それをまったく後悔していない話」があっても良いはず。
いろんな情報を見て、知って、考えて、最後は自分が正解だと思える方を選びましょう――というお話でした。
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