僕が5才の頃にお気に入りだったリュックが、いま5才の息子のお気に入りのリュックになった話
もう30年近く前の話だ。
僕がまだ小さい頃――それこそ、いまの息子と同じくらいの年頃のとき、いつもデニム生地の小さな青いリュックにおもちゃをいっぱい詰め込んで、あちこちに出かけていた。
そんな「僕のお気に入りだったリュック」が、時を経て、いまは息子のお気に入りのリュックになっている――今日は、そんな話をしようと思う。
***
とある休日、5才になったばかりの息子のコトが「こうえん、いこ!」と言うので、妻と3人で、近所の公園に出かけることにした。
妻が、「じゃあコトくん。自分のリュックに、おもちゃを入れて準備してね」と言うと、コトは「うん!」と、どこからか見慣れないーーけれどもなんだか見覚えがあるような、そんな不思議なリュックを持ってきた。
青いデニム生地でつくられた、巾着のように紐できゅっと締めるタイプの小さなリュック。
そこにコトが、お気に入りのトミカをどんどん入れていく。
「これもー。あと、これもー」
「あんまり入れると重くなるから気をつけてね」と妻がコトに声をかける。
しかし新品にしては、ずいぶんとくたびれたリュックである。ロゴは消えかけ、あちこち何カ所かはほつれてしまっているし、デニム生地とは言ったものの、青みより白さの方が目立つほど、色落ちしてしまっていた。
不意に懐かしさをおぼえて、僕は妻に言った。
「なんか、僕もこんな風に小さい頃、青いデニム生地のリュックにおもちゃを詰めて、公園なんかに遊びにいっていた気がする。男の子は、誰もが通る道なのかな」
「それは、そうでしょうねぇ」
妻は、ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべた。
「コトくん、パパにそのリュック、ちょっと見せてあげてー」
「いいよー、はい」と、コトが僕に、リュックを差し出してくる。
僕は「ありがと」とそれを受け取り、何気なく裏地を見る。
そこには、ひらがなで、大きく名前が書いてあった。
「ああ、もうお名前、書いてもらったんだねぇ……って、え?」
僕の頭の中に、無数の「?」が浮かんだ。
***
後に、妻は語る。
そのときの僕の表情の変化は、動画に撮っておくべきだった、と。
***
リュックの内側には、太めの油性ペンで、大きく、ひらがなで、――他でもない、僕の名前が書いてあったのだ。コトの名前ではなく。
でも、なんで。僕は妻を見た。
「……なんか、僕の名前が書いてあるんだけど」
「そうだねー」
「そしてこのリュック、見覚えがある気が……」
「でしょうねー」
妻が、楽しそうに種明かしをする。
「だってこのリュック、あなたが保育園の頃、使ってたヤツだもん」
僕が、保育園の頃に、使っていたリュック……? え?
「なんでそんなものがウチに!?」
「この前、お義母さんから届いたの。絶対びっくりするからって。感動のあまり泣くかもねって言ってたけど、どう?」
「ビックリしすぎてそれどころではない……」
固まる僕の背に、コトが抱きついて言う。
「パパー、リュックしめてー」
「あ、うん」
きゅっと、リュックの口を閉じる。僕の手が、まだその動きを覚えていた。このリュックは、口が巾着のようになっているので、ひもで絞ったり結んだりと、少しコツがいるのだ。
きっとあの頃の僕もこんな風に、「おとうさん、リュックしめてー」なんて言って、父の背に抱きついていたのかも知れない、と、そう思った。
しかし、まさか30年もの時を経て、このリュックが息子の手に渡ることになろうとは。
にこにこと僕の表情を観察する妻の視線から逃げるように、僕は背中に抱きついたままのコトを見て、言う。
かつての僕のお気に入りだった青いリュックを、コトに渡しながら――
「コトくんは、このリュック好き?」
「ん? すきだよ? なんで?」
このリュック、昔はパパが使ってたんだよ。えー、うそだー。本当だよ、パパもおもちゃをいっぱい入れて、公園に行ってたんだよ。えー、ほんとー?
そんなパパと息子の会話を、妻がにこにこと眺めているという、そんな何でもないけど幸せな休日の昼下がりを、僕はきっと、一生忘れないのだろう。
――これはそんな、青くて小さな、思い出の詰まったリュックの話である。
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