味覚障害で料理の味付けが出来ない妻を、息子が「味見やさんですよー!」と助けてくれた話
妻が抗がん剤による治療をはじめて、三か月が経った。
この抗がん剤だが、いろんな副作用がある。
有名なものとしては、脱毛や体の痛み、倦怠感といったものよく知られているが、実は「味覚障害」も、かなりやっかいなものである。
妻は、この味覚障害が強く出た。
何を食べてもおいしく感じられず、苦みを感じたり、味がしなかったりするせいだろう。
結果的に、妻はみるみるうちに痩せてしまった。
そして、妻自身の食事の問題だけでなく、――日々の料理においても、大きな問題が生じることになった。
そう。妻は、料理に自信がなくなってしまった。
味がわからないので、味付けができないのだ。
そんな問題を解決したのは、――小学生になったばかりの息子の「はーい! 味見やさんですよー!」という満開の笑顔だった。
今日は、そんな話をしようと思う。
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「わたし、ご飯をおいしく作れない」と悩む妻
ある日の夕方のことである。
在宅ワーク中にもうすぐ始まる会議の準備をしていると、コンコン、と僕の部屋のドアがノックされた。
「はいはい」とドアを開けると、そこにはしょんぼりとした表情を浮かべた妻が立っていた。
「どうしよう。わたし、ご飯をおいしく作れない」
「え?」
「晩ご飯を作ってるんだけど、味がわからないの」
「そっか、味覚障害、でちゃったか」
最近、妻はお風呂上りに体重計の上で、「わー! 高校時代のマイベスト☆体重になった!」なんて言うことが増えていた。
明らかにカラ元気で言う妻の声に、僕は内心で、「もっと食べさせよう」と誓っていたのだが、いくら僕が勧めようとも妻が食べる量は減る一方だ。
これは食欲の問題ではなく、”味がわからない。ご飯を美味しく食べることができない”という理由のほうが大きかった、ということなのだろう。
「どうしよう。お仕事、まだかかる? お料理、手伝ってほしいなって」
「任せて。仕事は、もう1つWeb会議が終われば、すぐあがれる」
僕はそれなりに料理ができるし、何より妻を支えるために週休三日制度や在宅ワークを活用しているのだ。
ここで妻の代わりにキッチンに立たねば意味があるまい。
僕はPCを操作してWeb会議にログインすると、イヤホンを耳に挿した。
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息子が「2人でやると、はやいのほうそく」を使った日
打ち合わせを終えて、イヤホンを外す。
PCの電源を落として部屋を出ると、キッチンから、妻と息子のコトくんが、何やら楽しそうに話す声が聞こえてくる。
「は~い、味見やさんですよ~。いらっしゃいませ~」と、コトが楽しそうに笑っている。
「あ、また味見やさん! また来てくれた! じゃあ次は、こっちのお味はどうでしょうか?」
「どれどれ~? あ、美味しいです! このぐらいでいいですね~。おかわり!」
「ちょっと、もう味見の量じゃないじゃん」
キッチンに入ると、妻が「じゃあ、おかわりどうぞ」と、コトの口にお肉を一切れ運んでいるところだった。
「あ、パパ! おしごと、おわったの?」
「うん。コトくん、お料理を手伝ってくれてたの?」
「うん! ぼくはね、味見やさんなの」
「味見やさん! そっか、パパの仕事がなくなっちゃったなー」
「えへへ」と、コトが胸を張って笑う。「2人でやると、はやいのほうそくだから」
”2人でやると、早いの法則”。
これは僕ら夫婦が新婚の頃から使っているフレーズで、キッチンで2人ならんで料理をしたり、一緒に洗濯物をたたんだりするときによく使っている。
息子のコトも、僕らがよくこのフレーズを使うのを聞いていて、いつの間にか覚えてしまっていたのだろう。
と、そこで妻が横から言う。
「はい、パパの仕事も残ってまーす。味見やさんとの相談に夢中になってて、お味噌汁づくりがまったく進んでませーん。ここからバトンタッチをお願いしまーす」
「あ、よかった! パパの仕事も残ってた! はい、じゃあ交代でーす。あとはパパが作りまーす」
そういって、僕はエプロンを手に取る。
すると、息子がにっこりと笑って言った。
「みんなでやると、もっとはやいのほうそく。だね」
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みんなで「今日のごはんも美味しいね」と笑いあえること
夕食中、コトはずっと、
「このお肉はね、ぼくが味見をしたんだよ。おいしー!」
と、たくさん味のレポートをしてくれた。
「大丈夫? 食べられそう?」と、小声で妻に聞いてみる。
「うん。みんなが美味しいって言って食べてくれると、不思議と美味しく感じるね」
たしかに、いつもより妻のお箸の進みも早いようだ。
「みんなでたべると、おいしいのほうそく?」と、コトがニカッと笑う。
「そうだね」と、妻も楽しそうだ。
「……ところでコトくん、パパが作ったお味噌汁も食べてくださーい。お野菜がいっぱいで、体にいいんだよ」
「わ、バレた」
「ほら、みんなで食べると美味しいの法則なんでしょ」
するとコトは、お味噌汁の野菜を一切れ、口に運んだ。
「……にが~い」
「あらま。みんなで食べると美味しいの法則、お野菜には効かないんだ」
「……そんなことないよ!」と、コトはもう一口、野菜を食べる。
にがそうな表情で、でも頑張って苦手な野菜を浮かべる息子の姿に、僕と妻は笑ってしまう。
「頑張ってえらい! ほら、お肉をもっと食べな」
すると、コトは大きな口で、お肉とご飯をほおばった。
「うん。こっちはめっちゃおいしい。だって、ぼくが味見やさんになって味見したしね!」
「あはは。じゃあ次は、野菜のほうもたくさん味見をお願いしようかな」
僕がそう言うと、コトは目を逸らした。
「……そのときは、味見やさんがおやすみかもしれないけどね」
「え、そんなことあるの!?」
そんな会話に妻が笑い、そして言う。「今日のご飯は、すごく美味しい」と。
あとがき
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