なぜお笑いは面白いのか?
はじめに
AIを勉強していると、ふと「なぜお笑いは面白いのか?」と疑問に思うことがあります。
改めて「面白い」と思う原理を考えてみました。
ボケとツッコミ
まず「ボケ」とは何でしょうか?
わかりやすくいうと、「普通の状態からのズレ」です。
普通のことから軸がずれることによって「ボケ」が生じます。
「何でそうなるねん」「そうはならんやろ」という状態ですね。
たとえば、
「今日は雨が降ってるから傘さしていこう」
だと何もズレてないわけです。普通のことなので。
でも
「今日は雨が降ってるから鼻にイワシさしていこう」
だと
「そんなアホな!」
となるわけです。
鼻にイワシをさして面白いかどうかは別にして、明らかに普通ではないのでボケとしては成立しています。普通からズレてますから。
この「ズレ」が「笑い」という事象に関わってきます。
要するに「普通」って何も面白くないのです。
雨が降っていて傘をさして面白いと思う人はいないですよね。
漫才でも話が「普通からズレた瞬間」に笑いがおきます。
わかりやすい例としては、ミルクボーイの最中ネタがわかりやすいので少しみていきましょう。
■ミルクボーイのモナカネタ
「オカンがお菓子の名前忘れてん。和菓子でね、薄茶色のパリパリの皮であんこが入ったやつ」
「モナカやないかい。完全にモナカや。すぐわかった」
ここでは大きな笑いはおきません。特徴から考えてモナカだとおもうのは普通ですよね。
「普通」だと何も笑う要素がありません。
でも、ここではちょっとだけ笑いの準備が整い始めています。
「オカンがお菓子の名前忘れた」、「誰でもよく知ってるモナカなのに名前を忘れている」という普通からの「ズレ」が少し生じています。
この小さな「ズレ」で笑いの期待感ができあがりました。
まだ、「ズレ」が明確でないので笑いには繋がっていません。
続けてみていきましょう。
このあとに「ズレ」の要素が登場します。
「いや、でもわからへんねん。俺もモナカやと思たんやけど、オカンが言うにはスーパーでこどもがそれ欲しくて泣いてた言うてんねん」
「ほなモナカと違うかー」
ここでどっと笑いがおきます。2人とも直接ボケてるわけではないですが、笑いがおきます。
言ってることが、普通から「ズレ」てるとわかったからです。
「こどもはモナカを欲しがらない」というのが普通です。
予想したお菓子がモナカなのに「こどもがそれを欲しがっている」という普通でないことがおきています。
ここに「ズレ」が生じたわけです。
続けて、
「モナカで子どもはごねへんからね。あんなに甘いのに子どもからまったく人気がないねんから」
さらにここでも笑いがおきます。
追加でわかりやすく状況を説明することによって、より「ズレ」が鮮明になります。
明らかに「普通からズレてる」と。
なので「ズレ」が鮮明になったのでさらに笑いがおきました。
繰り返しになりますが「ボケ」とは「普通の状態からのズレ」のことです。
その次に「ツッコミ」とは何でしょうか?
それは「ズレを明確にして解像度を上げる」です。
「ズレ」て外れたものを明確にするのが「ツッコミ」です。
ボケだけだとどれくらいの「ズレ」なのかわかりにくかったり、シュールなボケだとそもそもボケ自体に気づきにくいですが、それをツッコミによって解像度を上げます。
ボケだけでも成り立つ場合もよくありますが、ツッコミによってボケの解像度があがるため、それが「ズレなのかどうか」と「どれだけのズレ」かがわかりやすくなります。
「今のがズレだ」とわかりやすいと、さらに笑いがおきます。
それが「ツッコミ」の効果です。
あと、もう1つ「ツッコミ」には大事な役割があります。
それは「共感」です。
「ズレ」だけでは笑いにつながりにくいですが、「ズレ」×「共感」で相乗効果が生まれます。
「なんでやねん!」
「ちゃうやろ!」
という「ツッコミ」によって、聞いている人の「共感を増幅」させます。
「ボケ」だけでも「共感」は得られますが、「ツッコミ」によって「共感」を増幅する効果があるのです。
なので、「ボケ」たあとの「ツッコミ」によって、どっと笑いが起きるのは「ズレ」×「共感」が最大限に発生した瞬間となります。
「モナカなのにこどもが欲しがっている」→「そんなはずない」という「共感」がありますよね。
ミルクボーイの場合は、明確に「なんでやねん!」といったツッコミではないですが、
「ほなモナカと違うかー」
という一言で「共感」を増幅しています。
「なんでやねん!」のように明らかな「ツッコミ」でなくても、「共感」を増幅することでツッコミと同じ効果になります。
そういう意味では「ツッコミ」とは「共感の増幅」と説明したほうが正確かもしれませんね。
「ズレ」に対する「共感」を増幅させることが、「ツッコミ」の効果です。
重要な要素である「共感」
「ツッコミ」の説明で登場した「共感」ですが、これがお笑いには重要な要素です。
「雨が降ってるから鼻にイワシをさしていこう」だと、「ズレ」はありますが、「共感」はありません。
なので、笑いには繋がりませんが、
「モナカなのに、こどもが欲しがってダダをこねている」
は、「ズレ」と「共感」があります。
「たしかにモナカはこどもは欲しがらない」という「共感」があるので、笑いにつながります。
内輪ネタで、特定の人だけ笑いが起こってるのは、そこに「共感」があるからです。
内輪ネタだと外野の人は、そもそもさっぱり意味がわからず「共感」できないので、まったく笑えないわけです。
内輪ネタなのでそれが「ズレ」なのかどうかすらわかりません。
「ズレ」も「共感」も無ければ、まったく笑いにつながりません。
まとめ
まとめると「お笑い」が成立する要素として、「ズレ」と「共感」が重要ということがわかりました。
こうやって整理すると、「この芸人の話おもしろいなー」、「ここでこういって、共感を増幅させてるのかー」とか、芸人さんたちのテクニックのすごさが何となくわかるようになってきます。
難しいのは「共感」を得るのは、時代の流れや流行りとかがあるので、そのあたりは芸人さんたちが日々悩んでるところではないでしょうか。
「共感」をおこしにくい「ズレ」だと、いくらテクニックがあっても笑いをとるのは難しいでしょう。
日々、「ズレ」×「共感」が最大限になるようなネタをみんな試行錯誤してるものと思います。
最近テレビを見ることも少なくなってきましたが、改めてお笑いのひとたちはすごいなーと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?