インドで考えたこと

政府の派遣でインドに一週間行ってきた。

IITの学生と仲良くなったり、インキュベーション施設でメンタリングを受けたり、クライアントになりそうな企業を回ったりした。それから、トイレの鍵が壊れて閉じ込められたり、ビリヤニのせいでうんこが止まらなくなったり、シンプルにバイクに轢かれかけたりした。

インドはテックタレントの層が分厚く、ユニコーンもここ3年で沢山出てきている。実際、現地で話した人は賢い人が多くて、スタートアップエコシステムの中心から辺縁に至るまで中身がぎっしり詰まっていると感じた。インドの成長は地に足が着いたリアルなものだと思う。

特に驚いたのは、Day1からグローバル展開(というかアメリカ進出)を準備しているスタートアップが多いこと。やり方を聞いてみると意外と簡単で、結局グローバルで挑戦することのは選択の問題なんだということに気付いた。できるのにやってこなかったことを素直に反省した。

インドでは色んな人と話したけれど、一番考えさせられたのは現地のVCの創業者と話した時間だった。

俺はそのおじさんに「シリコンバレーとインドの差についてどう思う?」と聞いてみた。

彼は渋い顔をしてしばらく考えた後、口を開いた。

「私は20年ほどシリコンバレーにいた。シリコンバレーを他の場所で複製するのはとても難しいことだ。インドだけじゃない。世界中のどこでも、第二のシリコンバレーを作り出すことは不可能に近いんだ。インドはまだ成長が始まって間もない。追いつくことは難しいが、これから良いところまでいくと思うよ」

インドの大物(っぽい人)が「差がある」とはっきり言い切ったことに俺は驚いた。同時に、彼が直感的な真実を語っているとも感じた。彼がシリコンバレーで見た景色と、インドで見ている景色の違い。それはある程度深いところまでいった人には否が応でもわかるものなんだと思う。

そこで、俺は「シリコンバレーのDNAは何だと思う?」と聞いてみた。シリコンバレーにしかないもの、シリコンバレーの核心は何か。

彼はこう答えた。

「シンプルに言ってしまえば、シリコンバレーはスーパー頭が良い人+リスクテイクのマインドセット+そこに注ぎ込まれる莫大なお金、のコンビネーションで、このどれが欠けてもいけない。インドはどの点でも遅れを取っている」

つまり、シリコンバレー=頭良い人+マインドセット+リスクマネー。このコンビネーションが、シリコンバレーのDNAなんだと。

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ホテルに帰って一人、これを日本に当てはめて考えてみた。日本は遅れているどころか土俵にすら立っていない。それを、①頭良い人、②マインドセット、③リスクマネー、に分けて説明してみたい。

まずは、①頭の良い人について。彼らが言う「スーパー頭の良い人」とはすなわちPh.Dのことだ。アメリカやインドでは、Ph.Dは非常にリスペクトされるし、恵まれた環境が用意される。例えば、アメリカのPh.Dは学費免除で給料も貰える。一方日本は、Ph.Dを育てる気がない。学振(奨学金のようなもの)を貰えても年200万円程度で、学費も払わないといけない。当然バイト生活になる。東大の同期からもよく愚痴を聞く。お金が理由で進学を諦めた友人もいる。彼/彼女らは、めちゃくちゃ賢く、前途有望な領域で最先端の研究に触れており、まさにイノベーションに必要不可欠な人材なわけだが、日本は適切なリソースをここに投入していない。

加えて、日本はSTEMの学生の割合も少ない。テックタレントが全く足りてないのに、東大はまだ進振りをやっている。スタンフォードのようにCSに行きたい人は全員行かせて後から脱落させればいいのに、生徒数に合わせたインフラ(教員など)を確保できないから実現しない。モノを作れる人が必要で、モノを作りたい人もいるのに、ここでも適切なリソースが投入されていない。

次に、②マインドセットについて。今の日本にはリスクテイク自体をリスペクトする文化がない。結果を出せば賞賛するが、挑戦の時点では冷ややかな目で見る傾向にある。しかしスタートアップは99%失敗する。だから、成功という結果を褒めるモデルだとエコシステムが育たない。結局、日本がどうなっているかというと、起業家数の増加は止まり、起業家の中では直線的に努力すれば成功するような事業が流行っている。多くの起業家を輩出することで有名な研究室も学生に受託を勧めるばかりで、世界を変えるという気概はない。

最後に、③リスクマネーについて。日本の投資家は大胆なことをアメリカほど評価しない傾向にあるし、そもそも文系で起業経験もないキャピタリストがDeepTechを評価するのは難しい。また、大規模なシリーズD,Eをハンドルできる国内投資家が少なく、小粒な状態でグロース市場に上場するので未上場のまま突き抜けることができない。スタートアップを顧客として扱う大企業もまだ少なく、会社にとって最も重要な要素である売上が上がりにくい。

そういうわけで、①頭良い人、②マインドセット、③リスクマネーのどれをとっても、日本は土俵に立っていないと言える。

さっき書いたようにこれらのコンビネーションが重要なので全てを揃える必要があるんだけど、どうやらそうもいかなさそうだ。社会保障費が国家予算を圧迫しているので科学技術予算は増やせない。企業は社員のクビを切れないので人材の流動性は低く、経済のダイナミズムは失われて久しい。多様性に乏しくかぶき者を嫌う同調的な社会なので出る杭となるデメリットも大きい。

課題の根を掘れば掘るほど、この国の禁忌ともいえる領域に議論は行き着く。ここまで書いてきたことは皆、言われなくても心の底では分かっている。だからこそ、これらの領域にメスを入れるかどうかで改革の本気度が問われるが、政府は全く言及しない。政治家達は今の日本社会に誰よりも適応した結果その地位に上り詰めたわけだから、こうなるのは必然なのかもしれない。政府は上辺のイノベーション政策に終始し、中途半端なので失敗し、失敗したという事実がさらにまた改革を難しくするだろう。

このまま何も変えずに状況が改善されるのかは分からない。少なくとも、かつて日本経済が成功していた時代と現在とではゲームの構造がかなり異なっていることは確かだ。

1980年代までは製造業が中心だったから、企業間/内部の擦り合わせが競争力の源泉となり、日本は欧米企業の手法を改善することで技術集約型の成功を収めることができた。しかし、1990年代以降の経済のグローバル化とIT化によって日本製造業の競争力は失われ、成功の鍵を握るのはソフトウェアとなった。ソフトウェアは、大企業でなくとも優秀なかぶき者が数人集まれば作れるし、簡単に広めることができる。このような時代に重要なのが、小さくクレイジーなチームが生み出すイノベーションであり、その基盤となるのがシリコンバレーのあのコンビネーションというわけだ。AIの出現で今後この傾向はさらに強まるけど、まだ日本はこのゲームチェンジにあまり対応できていない。

そういうわけで、これからの日本はグローバル経済の競争から取り残され、模倣すらできず、ただ消費するだけの国家になる可能性もある。その場合、日本という国家への信用は薄れていき、既に財政的なレジリエンスが極めて低いこの国は、何かの拍子に崩れてしまうかもしれない。

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まあ、これはあくまで俺の見方に過ぎないんだけどね。こんなしみったれた仮説は、たった一人の凄い起業家の出現によってあっという間にひっくり返るかもしれない。

で、俺も含め、みんなに何かできることがあるのかってことなんだけど、まずは「自分の人生はこんなもんだ」とか「こういう人生を歩むためにはこうすればいい」みたいな予定調和を壊すことだと思う。

そうやって自分の中に新しい風を吹かせて、その中で生まれてくる「これおかしくね?」「あれっておかしかったんだな」っていう感覚をしっかり表現することが良いんじゃないかな。みんなが少しずつ既存の枠組みに風穴を開けていくと、少しずつ、だけど確実に、世の中は変わっていく。

予定調和を壊すっていうのは、なにも起業とか留学とか転職とかそういう大それたことじゃなくてもいいと思う。

ちょっと派手な色の服で外に出てみるとか、いつもと帰る道を変えてみるとか。医学ばっかり勉強してる奴は小説読んでみるとか、ヒップホップじゃなくてクラシック聴いてみるとか。野球部で坊主にするぐらいならダンス始めてみるとか、逆にみんながダンスしてるからキャッチボールしてみるとか。なんでもいい。

小さなことでもチャレンジを讃えて、尖ることをよしとする環境が作れたなら、少しずつ物事は動いていく。もしかしたら、その過程で馬鹿にされることもあるかもしれない。理想と現実のギャップにビビるかもしれない。でも、そういう世界だからこそ、君にできることがあるし、世界はそれを待っているんだよ。

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冒頭のインドのVCのおじさんは「とにかく、シリコンバレーは凄いからお前も来い」と言い残して去っていった。

ここまでインドは凄いとかシリコンバレーも凄いとか日本はどうなんだとか、ごちゃごちゃ書いてきたけど、そもそも、凄いことが起こる可能性ってのは、世界中どこにもでもあるんじゃないかと思う。

別にモロッコでもタンザニアでもどこでもイノベーションが起こる可能性はある。というか、そういう地球にしていかないといけないのよ。あるいは、誰でもそういう場所にアクセスできる世界を作っていかないといけないのよ。

先のことはわからないけど、数百年単位の長い時間をかけて、数多の変化と反発と成功と失敗と成果と犠牲とを繰り返しながら、なんとなく世界はそういう方向に向かっていくんじゃないかという予感が俺はしている。

どこでも誰でも、どんな可能性も生み出せる世界。そうあるべきだし、そこへ向かう時代のうねりを止めることはできない。

それこそが自由だと、俺は思う。

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「受け継がれる意志、時代のうねり、人の夢。これらは止める事の出来ないものだ。人々が自由の答えを求める限り、それらは決してとどまることはない」

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