世界公平仮説 というお話

※この記事はアホが書いた感想です。聞きかじった知識で書いてるので、何かの参考にはなり得ません。検索するなり本を読むなりした方が良いです。アホの文章を読むとアホになりますのでアホになりたく無い人は読まない方が良いです。と言うわけでこれから先を読む人をアホと見なします。

世界公平仮説、という物の考え方がある。
難しい所は置いといて(置くなや)、因果応報、信じる者は救われる、情けは人の為ならず、努力は報われる、悪は裁かれる、あなたが変われば世界が変わる…
「被害者にも落ち度がある」
要は全てに原因と結果があると見る、そんな物の考え方だ。
ま、結果論に似た考えのようですな。 
あの時ああすりゃ良かったニャ ハイ反省会終わり〜!ってことや。ええ歌やな。もっと前向きロケット団。

あまりにも常識化し過ぎていて、こいつらのどこが間違っているのかと思う人もいるかもしれない。(僕もそう思います)

ただ世の中、たまたまその場に居合わせた人が理不尽な目に遭うこともあるわけで。この人達を知らず知らずの内に無視してはいないか?ということです。

結局、人生って80億人がプレイする運ゲーのクソゲーなので、運を運と感じない程度に遊ぶのが吉です。

運を運と思わず、実力と錯覚すれば面白い

何回考えてもこれだったので考えるのやめました。
そして不運は試練と思い込むわけやな
そもそも運ってなんだよ、ゲームの乱数調整とかいう言葉初めて聞いた時宇宙猫やったぞ
ソフトウェアからプログラムの仕様を推測する人がいるのは面白いですな、ある意味考古学や。人類のロマンや。メシの種になるかは怪しい。無いとは言わんが。

神様は乗り越えられない試練は与えません

ほーん
生存者バイアスやな ウンコや
コイツは水に流そう。

ただ、10億円の返済能力が無い者に10億円の借金は発生しないってのをネットのどこかで読んだので、世の中そんなに厳しいってわけでも無いのかも知れません。かも知れません。

アテクシのばあばが「世の中に深刻なことはない」と言っていたのでそんなもんかもしれません。

結局悩んだって始まらないのであれこれ試してみることですな。

やるかやらないかじゃねえんだよ
やるかやってみるかや
do or try や。
なんかの映画で見たちっさい緑のエイリアンがそんなこと言ってた気がする。
言ってねえよ。

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