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9ヶ月を語る

最近部屋にやたらとコバエが出て困ってるんだけど、今日はやたらと仕留めやすかったのね。


3匹連続で交尾中でした。


オイ💢💢💢

許されねえよそんな事💢💢
何人たりとも、私の部屋で交尾だけは許さねえ💢💢


はい、

そんな感じで

三連休が私を強くしてくれている間に、
個人的に激動のここ半年ちょいを振り返っておこうと思う。


10月 親と絶縁する

いきなり何????????????????

まあね、いうてもね、私の絶縁は、世の中的にはマジで甘えだと思うんよ。

今まで
仕送りとか、お金もらえんくなったら生活できなくなる。卒業もできない。

その恐れだけで、嫌なこと言われてもずっと我慢してきたからさ、
それが変わるわけじゃないから、金銭的自立がすぐできるわけじゃなくて。
貯金も皆無だし。
後述するけど、買い換えるからって要らんくなった車譲ってもらったしさ。
我儘ですよね甘えですよね。
スンマセン。

でもそれを差し引いても、どうしてもどうしても、無理になっちゃって。

原因としてはとあるきっかけで(話すと長くなるから割愛するけど)

帰省してた時、
私が生まれて初めて、父に歯向かって

歯向かってっていうか、初めて腹割って本音で話したら、

向こうは、
女が
若造が
自分の所有物が
口答えしてきたのがよっぽど気に入らんかったらしくて
話の内容聞かず、ただそれだけで

「誰に向かって口を聞いている」

「お前のそういうところが昔からダメだと思っていたんだ」

「お前はおかしい。お前は社会でやっていけない。社会不適合者」

って
実の娘にすごいなこの人って呆れるくらい次から次へと怒号浴びせられて

母親にも

「お父さんが正しい。
あなたの言い方が悪い。」

「お父さんへの口の聞き方を気をつけなさい」

「いい本があるの。これで勉強しなさい」
(神様が〜 とか書いてある本)

って言われた時に

あっ、
この家は日本語通じないんだ

この人たちはこんな簡単に
私の人生を否定できるんだ。

えーーー、なんだったんだろ、
この家で過ごした十数年間。

あーー…やばいやばい。
私ここにいたら壊れちゃう。

そう思って家飛び出して、
下宿先に帰って、

すーーーーーーーごい安堵した。
もう私の家はこっちなんだな。
って気づいた。


もちろんね、20歳こえてますから
これから自分で飯食ってかなきゃいかんのは一緒なんだけどね。

姉の説得あって、
親もこの後、謝ってくれたんだけども。

いや、正確には謝らせてくれって言われたんだけど、

私は自分の中に
許す許さないの選択肢ができることすら嫌で

大変恐縮なのですが、本当にごめんなさい。会いたくないです。

ということで連絡先その他諸々全てシャットダウンしたまま。


人間って基本的に被害者でいたい生き物だと私は思うから、
自分の中で咀嚼するうちに誇大もどうしてもしちゃってるんだろうけど

ちょっと時間が必要でした。

いつかまた、
笑顔で会えるといいね。
その日まで、どうかお元気で。
と、今は思えるようになりました。



11月、12月、1月 資金稼ぎ&卒論


なーーーーんて言っても人生は続くわけで。

ここから私は
引越し資金と新生活のための金をなんとかしなければならない。
そして卒論を完遂せねばならない。

これに奔走することになった。

ほぼ毎日シフトには入ってたけど、
私のバイトは時給はいいけどそんなに詰めれないので、
急いで掛け持ちのバイトを探した。

運良く年末商戦で募集かけてた短期バイトにありつけた。
そっからはもうこんな感じで

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7〜10時間くらいを
バ先「wataka さん、〇〇日いけr
私「いけます!!!!!!!!!!!!!!!」
でほぼ毎日埋めてって3ヶ月過ごした。

スケジュール的には全然普通っちゃ普通なんだけどね。

卒論は私のゼミはアンケート必須で、
その準備にめちゃ時間かかって
10月後半から11月ごろにようやく実施できて
(そんなに母数は要らないから助かった)
バイトの合間縫って学校いって、統計分析して、
放任ゼミだから分析とかなんも教わってないけど、何とか本見ながら勉強して(付け焼き刃すぎる)
週一くらいの休みで執筆進めて
なんとか年明けに提出した。

時々どうしようもなく襲ってくる悲しさと「もう死にたい…」って気持ちは
「いや何で私が死ななあかんのよ…
私がブッ殺す」(何を?)
ってかき消した。

一月、少しだけ休みをもらって
新生活の物件を探しに行った
(就職先が他県のため)

実はいろいろあって次の家では妹(高校生)と2人で暮らすことになっていたので、
2人で住める広さ。かつ妹が学校に通えるエリア(便利のいいところ)に家を借りなければならなかった。


結果、田舎なのに
家賃が…クソ高い…


妹の生活費親が仕送りすることになっていたので、家賃は払えるんだけど、
家賃が高い=初期費用も高い
わけだからめちゃくちゃ苦戦した。
自分の計画性のなさに笑うしかない。

奇跡的に初期費用が破格の物件をみつけて、
姉に保証人になってもらって
急いで業者の見積もり取って手配した。

必死

2月、3月 とにかく金がない

2月の半ば、
ギリギリまでバイトを続け、お世話になった二つのバイト先を辞めた。
そして姉に手伝ってもらいつつ、
下宿先から就職先のある県へと引っ越した

はじめての一人暮らしした町は、本当に大好きになって。
これがアナザースカイってやつだよな。
と未練たらたらで新居に越してきた。

3ヶ月のバイト代は引越し費用と諸手続き、様々な契約でほぼ溶けたからとにかく金がない。

荷物を減らすために必要最低限以外の家具をほとんど手放したけど、
買い揃えるなんて到底できない。
妹が来るまではたっかい家賃を1人で払わないといけない。

2週間あけて(感染対策)
急いでバイトを探して、工場の派遣を始めた。

フルタイムで、2週に1日くらいの休みで働いて、
自炊しようにも調味料とかそろえる余裕もないから
毎晩、袋麺とか100円で買える軽食(パンとか)で凌いだ。

車生活になって
譲ってもらった車で生活してたんだけど
早々に事故るし(自損+公共物とかの賠償も無しだったから私の車が傷ついただけだけど。)

タイヤパンクして

その時スタッドレス履いてたんだけど、
スペアタイヤなんて持ってないし、ノーマルタイヤすら無かったから諭吉が大量にお亡くなりになって。

絶縁(笑)とか言いながら
親の、金を出すという申し出は受けて。
そうじゃないと生きていけなくて

お姉ちゃんに「ごめんなさい。二万円貸してください」ってライン送る時なんて本当に情けなくて、
車の中でおいおい泣いた

お金の無心ってこんなに心がやられるのか。

「生活にはしばらく苦労すると思うよ。それでもいいのね?」って言って
本人がそれに承諾して3月から妹が来たんだけど、

生活に対して親から姉を通して苦言ばかり言われた。妹が可哀想とか。

ほっといてよもうそっとしといてよ
誰も口出さないでよ私の生活に。
関係ねえじゃん。
誰にも認められず、こんなに惨めに頑張ってんのに。
うるさいうるさいうるさいうるさい

布団で声を押し殺して泣き叫んだ
いや正確には殺せてはなかった。よく隣人に怒られなかったなと思う。
髪の毛引きちぎれるんじゃないかってくらい引っ張っておかしくなるくらい暴れてた

消費者金融からお金借りる一歩前まではいった
(踏みとどまらせてくれてありがとう霜降りTube)

絶対に絶対に手首切ったり自傷行為だけはしない
あいつらのために傷ついてやるもんか。
それだけを守って過ごした。


あれよあれよと言う間に卒業式
久しぶりに着飾ってバッチリ化粧できて、
めちゃくちゃ心が躍った。

余裕のない私に手紙とか手作りのプレゼントとか用意してくれた大親友に号泣して

なんだかんだ頑張れた卒論も優秀賞になって

大学生活だけが最後に自分を肯定してくれた。


社会人になりたくない。
なりたくないけど早く安定したい。
とにかく金が欲しい。
と学生生活終了のカウントダウンを待った。


4月、5月、6月
緊張の新生活、素行が荒れる妹

新生活、
やっと落ち着ける…ということは無く

配属後、私は全く予想もしていなかった
人事・採用担当になり
2週間後くらいには一人で会社説明会をしていた。

やるしかない精神で必死に取り組むも
様々な理不尽、会社への不信感でだんだん目のハイライトが消えていくのがわかる。会社に行きたくない。こうなりたいとひとつも思えない。希望がない。

しかしそれでも乗り越えれたのは
一緒に住んでた妹のおかげ…というよりかは、仕事どころではなかったからだと思う。

元々悪目立ちするタイプだった妹は
高校では心機一転!と言っていたのだが

4月、5月とだんだん学校に行かなくなり、
平日にも関わらず帰宅時間が夜10時、12時、夜中の2時、3時と遅くなり、
6月頃からはほとんど家にもいなくなっていった
ご飯を作っても帰ってこないので毎日何を食べて生きているのかも分からない。

平日懸命に耐え抜いて、やっと心休まる土日…!と思えば毎週毎週家具も揃っていないこの家に誰かしらを連れてきて

洗面台で勝手に髪を染めている友達や
タバコの匂いがする男を自分の部屋に連れてくるようになり
私は毎週イライラしていた

なぜこいつは人の気も考えずこんなに勝手ができるのか。
必死でバイトして守った生活はこんなことのためにあったのか。

我慢の限界がきていた。

そんな時、妹のオトモダチの喫煙が学校に見つかった。
妹はその時喫煙はしていないと言うが喫煙歴があることを自白し(バカ?)
2週間の停学となった

元々「喫煙、飲酒、その他公序良俗に欠けることをしたら一発自宅送還」
という取り決めを両親としていたらしく
妹は実家に戻り今後を話し合うことになった。

運良くそのタイミングで
「しばらく住まわせて欲しい」と姉が来ることになっていたので、
家賃折半の相手さえいればよかった私は

もう呆れ果てすぎて、

「なんかもう別に妹帰ってこんでええわ…」

と、部屋の荷物を勝手にまとめて追い出すことにした。

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妹の部屋から見つかった大量の空箱と大量のライター
(好きな男が吸ったものを収集していたらしい)

見つけた時は気持ち悪すぎてそのまま吐いてしまうかと思った。

今どうしているのかはよく知らない。
キンッキンの金髪になっているということだけは聞いた。
まあせいぜいがんばってくれ。


7月 鬱になりかける

残ったのは大して職場に近くもなく愛着もいまいち湧かない家賃の高い家だけなのだが、
すぐすぐ引っ越せるような余裕もなく、ひとまずは姉と力を合わせて頑張ろうということになった。

何はともあれ家のことが一旦落ち着いたので、
否が応でも仕事に向き合わねばならなくなった。

上司からめちゃくちゃ梯子を外されつづけた結果、仕事中涙が止まらなくなってしまった。
運転中もぼーっとしてしまって危険なので相当注意するようにした。
何日か一回限界が来て、体調不良で休み、
なんとかもちこたえてまた頑張る を繰り返した。
死にたい消えたい

会社で面談したり、自主的にカウンセリングを受けにいったり、大学の恩師に相談したり
いろいろ試して落ち着いて、今はなんとか耐えながら、毎日仕事に向かっている。


憂鬱は相変わらず飼い慣らすことができず、

学生時代にもっていた沢山の可能性を失い
自分がこんなにつまらない人生、こんな平凡で冴えない人間なんだということに絶望することしかできない。

このまま老いていくのかな。
今、若さを失うことが何よりも怖い。

転職しようにもなかなか難しい

救いを求めて本とか読むようになった。
どこにも答えは書いてないけど。

この住居も、
一体いつまでここに住めるかわからない。

ずーーーっとふわふわしている足元が落ち着かない。

しかし7月の自分より少し落ち着いているのは
ようやく少しだけ余裕を持って生活できるようになったからかもしれない。

人生はお金が全てじゃないけど、
財布が空だと精神的にまともじゃいられない。

まだまだ若いんだ。
大丈夫。大丈夫って言い聞かせて、
毎日の通勤で
creepy nutsの「かつて天才だった俺たちへ」
に元気をもらってここまで来た。

たくさんの後悔と不安と焦り
常に苦しさの自分史上記録を更新し続ける私に
ひとまずの金メダルをかけてあげたい。

そんな日々を過ごしてきました。

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