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『一人で』の話
今日も起きれました。
今日はひたすらに体が重い、眠い、頭痛い、な日でした。そんなものを引きずって仕事しているので正直全く頭に入ってきていないんですけど、仕事は仕事なので頑張ってきました。(とはいえ頑張りすぎて具合悪いです。今日リングフィットできるかな‥‥‥休んだらごめんなさい)
さて、今日は私の昔の話をします。
私にとって『一人で行動する』『食事を用意してすべて一人で食べる』『一人で大きなベッドで寝る』、すべて尊い行為です。
一人で何かを独占する。一人のために時間を使う。これはかなり幸せなことです。
まぁ、今日こういう話を振られて『なんでなんだろうなぁ』と考えてみたんですよね。
子供の頃の私にとって一人の時間は貴重でした。家の中には私以外に七人、人がいました。誰かしらいるので一人で残る、ということは早々ありませんでした。何かを手に入れ他としてもそれを独占することはできません。物心がついたときには妹がいて、『すべてのものは家族と分け合う、少なくとも妹たちとは』という思想の下動いていました。だから完全に一人のために何かをするというのは実家にいた頃にはできませんでした。
一人暮らしを始めたとき、私はいつものように踊っていました。(大前提ですが私はよく踊っています。別に誰に見せるとかそういうのでもなくただ踊っています。配偶者の前でも踊っています。)
その時、「親や妹たちに今踊ってるのを見られることを恐れなくていいんだな」と思ったんですよ。
それからは楽しかったです。
『妹たちが音や光で寝れないから』なんて気にせずに徹夜でゲームしたり、大きな鳥のてりやきを作って一羽分一人で食べたり、一人鍋パをしたり、ひたすらにその辺をあるきまわったり、一人の布団で眠ったり。
誰にも渡さない『独占できる』という幸福を知りました。
私は、もしかしたらおかしいことを言ってるのかもしれないし、間違っているのかもしれません。普通だったら『幸福は分け合うもの』というのが正しいのかもしれません。
でも人を気にしすぎる私が、何も気にせずに生きていくことに幸福を見出しても少しくらいはいいんじゃないかなと思っています。
たまに「とことん結婚向いてなくない?」と思うときがありますが、配偶者も『一人になりたいときもある』という信条はわかってくれていると思います。感謝しています。
でも子育てはしたくないです。
自分の幸福に必死なのに、これ以上人に幸福配れないです、はい。
まぁこれも間違っているのかもしれませんね。それでも私はギリギリまでこれを曲げたくないです。
みなさんどうかあなたの幸せを大切に
そんな感じです
それではおやすみなさい
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