おもしろいものは唯一無二?

世の中が多様で刺激的で面白くなっていくためには、オリジナリティは簡単には手放さない方がいい説。つまり、簡単に真似に走るなということ。

でも、どうしても人は成功している人の話を聞くと同じように自分も成功してみたいと思うし、その成功パターンを知りたくてたくさんの成功事例を集めてしまうことが多い。 

全国どこに旅をしても見慣れたチェーン店が溢れることに憂いていたはずなのに、ひとたびゲストハウスやコワーキングスペースが流行ると全国でそれらが増え、次にグランピングやワーケーション、クラフトビールにサウナ…。 
新しいことを何か始めようとするときに初期投資額がかかることを考えると失敗はできないし成功するために成功した人のエッセンスを取り入れることは必要だ。 しかし最初に始めた人がうまくいき、マネする人が増えるとどんどん同じものが増え、やがてブームになると終わりまでは早い。
長く続かず一過性のものになってしまうことで、自分の事業も短く終わってしまうのであればブームに加担するのはかえって自分の首を締める行為かもしれない。(首が締まらない人たちには理由がある。その理由は後述)

そこでオリジナリティが必要になってくる。

「誰もが自分のオリジナリティを活かしたアイデアを生み出すには?」ということもこの数年考えていることだ。 

学校の授業などでありがちなのはテーマだけ与えて学生に「さあ自由に考えてみて」というもの。しかし実際に自分が学生だった時のことを考えてみても「さあ自由に」と言われた時に先生が期待するような自由なアイデアを繰り出せる生徒はほとんどゼロだ。
何も手がかりがないところから考えるというのは無重力空間に放り出されたようで難しい。
しかし、人は選ぶことなら簡単だ。 
例えば「好きな異性のタイプは?」と聞かれると 「優しい人」などと答える人は多い。この答えはちょっとふわっとしている。
しかし「ある特定の5人組のアイドルグループの中から好きなのは誰?」と聞くと人によっては 「Aさん」と答え、また違う人は「性格は B さんでルックスは D さん」と答える。無重力パターンよりも選択パターンのほうが、答える側にとっても簡単だ。

「さあ自由に考えてみて」では答えもふわっとしたものになるのは当然である。実際に考えてもらうには最初は少ない選択肢の中から「選ぶ」という行為を経て、 少しずつ「考える」に進んでいく手順が必要なんだと感じている。

そこで、段階を踏んで考える力をつけるために、自分が行う学校の授業でも、「選ぶ」ことから始めて、「考える」への流れを意識してみた。

さきほどの選択パターンでも「5人組」ではなく「8人組」あるいは「20人組」などになってくると答えるほうも直感的に 選ぶことができず、考えなくてはいけなくなってくる。 こうやってはじめは少ない選択肢の中から簡単に直感的に選び、徐々に選択肢の分母を増やしていくと、やがて無限の選択肢の中から自分なりに考える ことができるようになっていく。

アイデアを考えるときも、いきなり選択パターンを与える(成功事例を見せる)と、そこから選ぶ(マネする)意識が働き、何かに似てしまう。 かといって何も見せなければ 無重力状態になり、とっかかりがなく何も生まれない。どちらもだめだ。

これを前提にすると、オリジナリティを生むには
①流行りモノを見ないようにする(選択パターンから物理的に逃げる)か、
②流行りモノの逆を行く(選択パターンから意識的に逃げる)か、
③流行りモノを間違って認識するか(意識をバグらせる)、
④自分なりの世界を掘り下げるか、


現実的には選択パターンに④を掛け合わせるなどが理解されやすいかもしれない。冒頭に書いた、「首が締まらない人たち」には工夫があるので長く続く。自分の友人知人たちもこのあたりが得意なのでいつも感心させられます。そんな工夫の分析も面白そう。

人が面白いと感じるものにはオリジナリティがあるはず。あなたが面白いなと感じているモノ、コト、サービスは①~④のどれでしょう?あるいはどんな掛け合わせや工夫でしょうか?

しかしオリジナリティを追求したところでそれが経済的成功になるかどうかは全くの別問題なのであった。世の中が多様で刺激的で面白い場所になっていくためには…。

つづく。


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