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発信しつづけていきたい

中学3年

の時の美術で行った木彫り製作。

鏡の部分をうまく入れ込んでどんな構図にするか、工夫するような課題だったと思う。

本当は花と葉っぱでいっぱいにしたかった。

部屋に飾るなら自分の好きな雰囲気のものにしたかった。


でも良いバランスで配置できる自信がなかったし、時間内に彫れる気もしなかった。

悩んだ挙句、鏡の部分が眼鏡の一つになるような、人の顔をイメージした作品になった。


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こんな感じ。

彫るのも一瞬だったし、活動時間をひたすらに持て余した。


展覧会に掲示される作品だったのだけれど、これをたくさんの人に見られるのがすごく嫌だった。

納得いく作品を作れなかった、というより作品と向き合わなかっただけ。

作品と向き合って、思うようなモノが作れないことが怖かった。



高校の芸術科目は選択制、自分は音楽にしたため美術の思い出はこのくらい。

「自分は下手だから」といつも逃げていた気がする。





そんな私も

母になり、今毎日イラストを描いている。

名乗るには勇気がいるし、まだ半人前にもなれていないけど「イラストレーターになりたい」と思うようになった。今年の1月あたりから。かなりの本気度で。




前職は

「小学校教員」

小さい頃から「先生になりたい!」と思っていたわけではない。

学校は楽しかったし思い出もいっぱいあるけれど、学校そのものが大好きだった感じではないかも。中高では授業で寝ていたことも多々あり。


そんな人間でも大学進学を決めたとき「先生になってみたい」と思った。


すごく得意な教科がない分、逆にものすんごく苦手な教科があるわけでもない。

運動も好きだし、ピアノも弾ける。子どもも大好き。

自分がもっている能力的に先生が合いそうだし

「学校でなかなか意見が言えない子」「先生〜!って自分から駆け寄っていけないタイプの子」も含めた全員が、存在意義を感じられるようなクラスを作れたらな…


とふと思ったから。




教育学部がある大学に行かせてもらい、教育実習、教員採用試験を経て無事「小学校教員」に。

すごくやりがいのある仕事だったし、子どもたちとの日々は今でも鮮明に思い出せるほど心に残っている。

どの学年、どのクラスも

子どもたちとの出会いは貴重で、大きな行事での感動よりも日々の授業、休み時間での遊びが大好きだった。




退職を決意した

1番の理由は「引越し」


物理的に通うのが難しくなった。


2番目の理由は「自分は子育てと教員、両立していけない」と思ったから。

ママさんで先生をしている人もたくさんいる。

定時で上がれるようにみんなうまくやりくりしている。

私もやってみたらなんとかなるのかもしれない。けど自分は器用な人間ではないんだよな…。



家族のこと、子育てもちゃんとしたい。

一生に1回の幼少期。やり直すことはできない。あとで後悔するような生活はしたくない。


でも多分教員の仕事も中途半端にはできない。

決してやりくりしている人が中途半端だというわけではなくって。


やるとなったらとことん学級経営したいし

伝えきれない部分を学級通信に載せていきたいし

みんなの日記にコメントも書きたくなっちゃう。


教員だったらやりたいと思うベースが色々あるのだが、それを全部やってたら到底仕事が終わらない。

それは実際に経験してみて痛感している事実だ。



自分は不器用だし頑固。

うまく削って、その分他のところでしっかりと子どもたちに伝える、という割り切りができる自信がない。

結果、家庭と仕事、全てが中途半端になって後悔してしまいそう。



だから教員の道はやめた。


いつか、もう一度現場に戻りたい!と思うときがきて、現場からも求められるようであれば教員の仕事はまたしたい。それくらい稀有な仕事だと感じている。

でも今は別の道を探すことにした。




妊娠・出産を通して

「育児絵日記」というものを知った。

SNSで発信している方がたくさんいて、自分も自宅安静時にたくさん読ませていただいた。のめり込んだ。


「自分も描いてみようかな…」というほんの小さな好奇心で、息子が生まれてから育児絵日記をスタート。

最初はiPhoneに手でお絵描き。少し経ってからiPadとペンを購入。

楽しくて楽しくて、息子のお昼寝時間と夜のくつろぎ時間はほぼお絵描きに費やす日々が始まった。



それでも最初の頃は「絵が上手くなりたい」とは全く思ってなかった。

この世界で生きていけるとは到底思えないし、自分は絵が下手だしセンスもない。無理無理。


でも絵が下手なのに、なぜ絵を描こうと思えたんだろう。

なぜ「楽しい楽しい」と育児絵日記の世界にのめり込んでいったんだろう。



1年経った頃、ふとそのことについて考えた結果

「多分自分は『発信すること』が好きなんだろう」という答えに辿り着いた。


教員も発信が多い。

子どもたちと一緒に考えたり、何かを作ったり。一方通行ではないけれど基本的に子どもたちに向けて「発信」している。


お絵描きも、始めた頃からSNSに投稿。下手でも世の中に「発信」し続けていた。


やがてその内容が子どもの成長記録だけでなく「子育ての悩み」「育児情報」さらには「自分の経験談」「コミックエッセイ」と幅を広げていき


幅が広がるにつれて、読んでくださる方の声がこちら側にも届くようになった。


すごく印象的だったのが「離乳食の卵黄で嘔吐してしまった話」という連載を投稿した時。


同じような悩みを持つ方からたくさんの意見が寄せられた。

メジャーな話ではなかったからか「調べてもわからなかったことが知れて良かった」と言っていただけた。


このとき初めて「私はイラストをたくさんの方に発信しているんだな」と実感することができたのだと思う。




教員の時のように、発信する相手が近くにいるわけではない。

相手がどんな顔をしているのかもわからない。



それでも「誰かに向けて『発信』していること」に変わりはない。

そして「その『発信』をすることに自分は価値を感じるんだ」と気づくことができた。



そう気づいてからは

「もっとたくさんの人に伝わる絵が描けるようになりたい」

「エッセイを基本から学びたい」と思うようになった。


息子の成長記録だけでなく、お絵描き自体も「楽しい」と感じられるようになった。




今後の自分の人生を考えたとき

妻として、母として後悔ないように生きていきたいけど

「1人の人間として」の人生も悔いなく歩んでいきたい。

できればチャレンジしていきたい。



いや、そんな綺麗事だけじゃなくって。


実際のところ「稼ぎたい」というのも本音。

将来にかかるお金が心配だし、貯蓄ももっとしていきたい。

自己投資に使うお金ももう少し欲しい。



だから今、自宅保育をしながらできること、少しでも前に進めることをしているだけ。


この2年間、色々と試行錯誤した結果「イラストレーターとして頑張りたい」と思うようになった。



というわけで…

これからは「自分は絵が下手だから」という発言を辞める。

今までもこの記事でも、本当に自分は絵が下手だと思っている。決して謙遜などではない。


でもイラストを通してお金をいただきたいと思うなら

上手い下手の概念を捨てて、自分にできる精一杯のことをやるべきだ。

自分の伝えたいこと、クライアントの願いを最大限引き出せるよう努力すべきだと思う。


今日この記事で下手発言は終わり!

中学のときのように、下手だからと逃げるのも終わり!


「絵が得意でもない平凡な主婦がイラストレーターになるまで」というエッセイをいつか描いてやる!


その野心で突き進むのみだ。



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