
フリーランス×Uターンは「意外と大丈夫!」(#001:長野暮らしのフリーランス広報・筒木愛美さん)
「フリーランス×地方移住」という働き方、暮らし方を選ぶ人が、数年前に比べてぐっと増えてきました。しかしながら、いざ自分ごととして考えてみると、
「どこの地域が自分に合うのかわからない」
「東京を離れたら、仕事も収入も減ってしまいそう」
「地元に戻りたいけど、いまさら居場所がないのではないか」
と不安は尽きず、二の足を踏んでいる方もいるのではないでしょうか。
今回から始まるマガジン連載「PENGUIN GARAGEの生態図鑑」。仕事もスキルも暮らし方も多種多様なメンバーの”生態”を、一人ひとり深堀りしていきます。
第一回目は、フリーランス広報として、故郷である長野県内で二拠点生活をしている筒木 愛美さんを紹介します。どのようにして地元に戻って仕事を広げていったのか、愛美さんの実践をご覧ください。
メンバープロフィール:筒木 愛美 /フリーランス広報
都内Webコンテンツ制作会社にて、企業のオウンドメディアやSNSの運用などのWEBディレクターとして従事。2018年に独立し、故郷の長野県にUターン。2拠点生活をはじめる。2018年は長野市と東京の2拠点→2021年から松本市・安曇野市の2拠点生活中。現在は自治体や企業の情報発信全般をサポートする。実家は安曇野のわさび農家。
※本記事は、2022年4月23日に開催したイベント「PENGUIN GARAGE NIGHT v03 ~実践から学ぶ。多彩なフリーランスの生き方~」をもとに構成しています。
長野のイイところ・イマヒトツなところ

私はいま長野県松本市と安曇野市の2拠点生活をしながら、「フリーランス広報」という肩書きを名乗っています。
大学卒業後は都内のWebコンテンツ制作会社でオウンドメディアやSNSのコンテンツ周りのディレクターをしていました。2018年にフリーランスとして独立し、故郷である長野県にUターン。ちなみに実家は安曇野でわさび農家をしています。
長野県のいいところですが、まずは、車で一時間走らせればかなりバラエティー豊かな土地に行けること。白馬や諏訪、上高地など、本当にいろんな魅力のある土地ばかりなので、休日もいろんな過ごし方を楽しむことができます。
あと人が少ない! 私は人混みが好きではないので(笑)
私が住んでいる松本市は、商業施設もあっていわゆる郊外。どうしても欲しいものはネットショッピングを使えば特に不自由なことはないです。温泉もたくさんありますし、季節の移り変わりや文化を深く実感できるところも、生活を豊かにしてくれるポイントかなと思います。
大変なところは、東京と比べて寒暖差が激しくてちょっと体調を崩しがちなことも。
あと意外と物価は安くない。車の維持費がプラスされるし、相対的にはそれほど安く過ごせるわけではないです。
フリーランスという働き方になじみが薄いので、いまだにフリーターと勘違いされたり、仕事をしてない人と思われたりするときがたまにあります(笑)
移住を決めるまで。東京でふるさとを想う
長野と私のこれまでの変遷なんですが、ご多分に漏れず、10代のころ、「こんな田舎飛び出してやる!」みたいな感じで東京の大学に進みました。
それが20代前半になってくると、やっぱり長野とつながってたいなっていうか、郷土愛のようなものが沸々と湧いてきて。まわりの先輩たちが東京と長野をつなげるような活動をしているのに参加したりしながら、長野とのつながりを東京で模索していました。
仕事で日本各地の活動を見るなかで、どこに行っても「これを地元でやったらどうなるんだろう」と考えてる自分がいて、「実行してしまえ!」と移住を決意したのが28歳のときでした。30歳を前に区切りとして、今だなって。
実は充実してる!行政による移住サポート
長野県が提供するサポートプロジェクト(補助金)「おためしナガノ」に合格したのも、大きなきっかけでした。

コワーキングスペースの利用料や引越し代、東京と長野行きの交通費や家具家電のレンタル費などを半年間補助してくれるんですが、すごいところがですね完全に移住しなくてもいいという前提なんです。絶対移住しなきゃいけないってわけじゃないし、2拠点でもいいっていう縛りがないところがすごく利用しやすいですよね。
おためしの期間で気づけたことは、東京と長野をどれだけの頻度で行き来すればいいのかというバランス。あとは、私は地元の安曇野にこだわっていたわけではないので、県内のいろいろな地域を見られたことがよかったです。
気づけば「なんでも屋」。地方での仕事の広げ方
「どんなところと仕事をしているの?」とよく聞かれますが、2021年の収入ベースで言うと、東京関係の仕事が6割ほど。あとの4割が長野関係で、長野県庁の仕事だったり、地元の会社の広報や情報発信周りの仕事などをやっています。
周りを見てもいろいろですね。長野に住んでるからこそできる地元の仕事にこだわる方もいます。とはいえ私は安定した収入も大事と考えているので東京と長野のバランスをとりながらやっています。
地方でよくあるのが、気づいたら「なんでも屋」になっていること(笑)コンテンツ系のディレクションから派生して、イベントの司会やレポーターをやったりもしています。
一方で「これができる人といったら、もうあの人しかいない」みたいな感じで、個人スキルの希少性が高まるっていうところはありますね。友だちのお店の常連さんからの依頼といった、ローカルならではのルートで仕事をいただく、なんてこともあります。

地元コミュニティには戻れるのか!?
あとUターンならではの質問として聞かれるのが、「地元の同級生コミュニティに戻りにくくない?」というもの。私自身は同級生コミュニティほぼゼロの状態で帰ってきましたが、無理に元のコミュニティに戻ろうとせず、20代30代の移住者仲間と遊ぶことが多いです。
移住者コミュニティやコワーキングスペースが大きなハブとなって、いろんな人と出会えます。みなさん、わざわざ移住するという選択をしてきた人たちなので、「この地を楽しもう」っていう意気込みがすごい。そんな彼らと長野県を開拓してるっていう感覚です。
大事なのは、自分がご機嫌でいられること

そんな感じで私は暮らしています。
自分にとって暮らしやすい地っていうのは、東京かもしれないし地元かもしれないし、そうではないどこかなのかもしれない。家族や自分の生活の変わり目だったり、まさにコロナのような社会情勢がきっかけになることもあるでしょう。
私がなぜこういう選択をしたかというと、できるだけ日々を機嫌よく暮らすためだったのかなと思っています。
私にとって、美しい山々を眺めながら移動したり、仕事場の窓から緑が目に入ったり、週末は温泉行き放題だったり、たくさんの個性あるお店を楽しんだり。東京でも手に入るかもしれないんですけど、私はこの長野の、この風景が好きだなと思って、ここにいるっていう感じです。
移住して4年。あらゆる運に助けられてきましたが、Uターンしてみたら意外と大丈夫だったよっていうようなことを伝えたいなと思います。
(イベントレポートここまで)
【編集後記】「意外と大丈夫」が積み重なっていく心強さ
地元へのUターン、しかも人気の長野への移住とだけ聞くと、「よくある好事例」に映るかもしれませんが、愛美さんのお話から、移住者ひとり一人が持つ移住のきっかけや、そこに至るまでの変遷を見ることができました。
私自身、地元である高知を出て東京で暮らす身として、「いまさら地元に戻って仕事があるのか」「地元を出ていった自分が、元のコミュニティに戻れるのか」という、後ろめたさとも言えるような心配があるのだと改めて自覚しました。「移住者コミュニティに入れば大丈夫!」という愛美さんの答えに安心。
自分にとって、どこで、どんな暮らしや仕事をすることが「ご機嫌」につながるか、その要素を集めていった先に愛美さんのような落ち着き先が見つかりそうです。
取材・執筆:廣畑 七絵
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