最後のお願い ~桜井充氏落選運動中・その5~

落選運動は投票日=本日7月10日もできますので、投稿させていただきます。

桜井充氏「最後の街頭演説」を聞いて

昨日午後、仙台市で最もにぎわう繁華街 藤崎ファーストタワー前で雨中行われた、桜井充氏の(おそらく最後になる)街頭演説会を聞きました。もちろん、横断歩道の反対側で落選運動をしながら(お励ましくださった皆さんありがとうございました)。一昨日の凶行を受けて、弁士は全員地元の首長さんや議員さんたち、そしてもちろん桜井充氏。黙って聞いているつもりだったのですが、演説を聞いていて怒りの声を押さえられなくなりました。個人的に面談した「オールみやぎの会」メンバーに「憲法9条だけは守る」と語っていた桜井氏の「憲法を改正して、アメリカ(合衆国)と対等の関係を築き、そして沖縄の置かれた状況を変える(大意)」というあまりに粗雑な現状認識と発言とを聞いてしまったからです。少し学べば分かることなのですが(例えば布施・伊勢崎「主権なき平和国家」をお読みください)沖縄の置かれた「惨状」としか言いようのない現状は、憲法ではなく日米地位協定があまりにも不平等な条約である現状に由来します。何が何でも、故安倍晋三氏が旗を振っていた(そして桜井氏が自民党会派入りを打診された理由にもなっている)「憲法改定」に結びつけようという“暴論”ぶりに言葉もありませんでした。いや、あれを聞かされたら当事者である沖縄県民は怒ること請け合い。宮城県民の私ですら込み上げてくる情動を抑えられなかったのですから。

桜井充氏は「地元と“国益”との相反」にどう向き合うのか


桜井氏が昨日触れたのは沖縄の課題でしたが、宮城県の問題でも「桜井充さん、ちゃんと学んで、考えていますか?」と尋ねたくなることはあります。沿岸部にお住まいの知人から、歴史的規模の地震と津波を受けて「村井古墳」と揶揄されることもある巨大防潮堤作りに疑問を呈し建設中止を訴えた際の桜井氏の冷淡な姿勢に幻滅した、という話を教えてもらいました。
この防潮堤に限らず、宮城県と自民党政権が掲げる「国益」とが相反することがこれから続々と顕れるでしょう。例えば、福島第一原子力発電所で日々発生し溜まり続けている“汚染水”(「国益擁護」側は“処理水”と呼ぶ)をどうするか、という課題。「巨大タンクに溜めておいて放射性物質の減衰を待つ」という理に適った解決策が提示されているのに、「国益」側は「即刻海水で薄めて海洋放出」を主張して、その準備作業を始めています。現状で海洋放出されると、(「国益」側が言う風評被害のみならず)残留放射性物質による実害が生じる可能性があります。これは三陸の漁業者にとっては致命傷になり得ます。ですから漁業者の皆さんはこぞって反対しているのですが、「自民党・桜井候補」はこの件についてどのように考えどう対応されるつもりなのでしょうか。
2011年3月11日以来、宮城県の最重要課題に「震災復興」が加わりました。福島第一原発事故で放出された放射性物質をどうするのか。宮城県がこれまで行ってきたのは「復旧」あるいはその延長に過ぎません。本当の意味での「復興」をどうするのか。大きな変革の時代、という別方向からの波も加わって、課題は複雑さを増しています。そんな時代、宮城県と「国」との利害調整が大きな課題になりますが、「国」=自民党政権側に加わった桜井充さんはその任にふさわしい方でしょうか。

議席と政治は誰のものか―再論

先日の論考にも書きましたが、桜井氏の意識の中には、国会議員は主権者である国民市民の「しもべ」である、という意識は薄いように思えます。どうも自分は「あるじ」の側である、という意識が勝っているように思えます。そんな桜井さんが議会に送られていかほどの働きができるでしょう。
政治には「情と理」の二つの側面があり、そのバランスはとても難しいものです。筆者は混迷の今においては、「理に基づいて設計し、情でそれを調整する」ことが求められると考えます。野党的考え方に近い、と言えるかもしれません。昨日、ただひたすらに「安倍晋三氏を悼む」ことだけを訴える自民党諸氏、そして桜井氏は、残念ながらその任にふさわしいとは思えませんでした。

宮城県在住の皆さん、宮城県選挙区の投票用紙には「桜井充」以外の四氏いずれかの名を書くか、あるいは白票で。
よろしくお願いします。

西 新太郎<Miyagi.demo.Taro@gmail.com>


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