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心の琴線について考えてみた

心というのは、人間だれしも強くなくて、弱いものです。
「私は違う!大丈夫!」という方でも、なんらかの出来事で心が弱くなって、体調まで狂ってしまうこともあります。

日本語の比喩表現の中で「心の琴線(きんせん)に触れる」という表現ってありますよね?

一度だけ、伯母がお琴を昔教えていて、体験ということで、弾かせていただいたことがありますが、お琴の糸というのは、とても弱くて、力加減次第では、ぶちーんと切れてしまいます。

あの美しい箏曲は、弱い糸が寄り集まって出来上がったもので、その美しい曲は数多く、弱い糸同士が奏でる音はただただ美しいとしか言いようがありません。

「心の琴線に触れる」というのは誤用があって、弱い糸同士が共鳴し奏でだす音を比喩して、「物事に共感する・感動する」「良いものに感動する」という意味で、本来の意味を知った時は、自分の語彙力が恥ずかしくて、穴があれば入りたいぐらいでした。

こうしてエッセイをほぼ毎日買いていますが、「誰かの心の琴線に触れているかどうか」ということは、あまり気にせずに買いています。
気にしすぎてしまうと、自然にゆったりかけない気がして、私が緊張して、私の心の中にあるお琴の糸を切ってしまいそうになるのです。

常に私がエッセイを書いていて、誰かから「スキ」をつけていただくと、その人の「心の琴線」に触れてもらえたのかなと、楽しみにしています。
「スキ」をつける方のお気持ちは、こちらでは深く察することはできません。

「スキ」をあまりつけてもらえていないnoteはあるかもしれませんが、チラ見でも、読んでいただいた方の「心の琴線」に少しでも触れてもらえたのなら、自己満足というわけではなく、密かな喜びとして受け止めています。

私の書くnoteが、誰かの心の「糸」に触れて、元気が出たり、励ましや慰めになれば、それは私にとって素直に喜べることになります。

時には落ち込んで、とんでもないことを書くことはありますが、そのことも誰かの琴線に触れていて、共感してもらえれば、それでよいし、noteを通じて、誰かの「心にあるかよわい琴線」に触れて行って、馴染んでいただければ幸いです。

長くなってしまいましたが、最後までお付き合いありがとうございます。

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