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私の母

この間は、父について書いた。
今回は、私の母について書いてみる。(画像は花びらだけれど、現在も台所でトントンとご飯作ってるからね)

私の母は、父と22歳の時にお見合い結婚をした。
結婚した翌年に兄を産み、その3年後に私を産んだ。都会暮らしだった母は、田舎暮らしでしかも父の母(ようするに私の祖母)と暮らすことは、
かなり不安で怖かったらしい。

案の定、祖母はもともと意地悪な人で、母に対して冷たくして、母は今は笑って話すけれど、存命中は、影でよく泣いていた。
意地悪をされる影響で、近所にあった編み物教室に頻繁に逃げるように行く母を、私は見ては、しくしく泣いていた。

しかし、母は、悪いと思うのか、手作りの食事にこだわって、今でも手作り料理にこだわっている。とても美味しくて、私の娘でさえも「おばあちゃんのハンバーグが一番美味しい!」という。

手芸にもこだわりがあって、編み物で私のセーターや、手提げカバンを作ってくれて、私の編み物の師匠は母である。

私が結婚をして、出産後に病気を発症してからは、かなり悩んでいた。
と同時に、自分の背中がどんどん丸々ことに気づいて、慌てて整形外科を受診した。

骨粗しょう症については、40歳代の検診で注意を受けていたらしいけれど、整形外科で骨密度とレントゲンを撮影すると、背骨の3個が割れていていることがわかった。

その日から、自転車に乗ることや重いものを持つことを禁止された。車の運転も、背中が丸まって見えにくくなったので、運転をやめた。

いろいろとできないことが増えたせいと、父が前立腺がんなどでよく入院して弱気になっているので、少しイライラしている。

よく考えれば、もう75歳になって、兄のお嫁さんは亡くなったし、頼りにできると思っていた人がいなくなり、私も寝込みがちだから、イライラしたくもなるだろう。

しかし、よく愛犬を連れて遊びに行くので、犬好きの母は、かなり可愛がっている。私の娘とも、頻繁に会えることが楽しみで、両親にとって、犬と孫に会えるということは嬉しいのだ。

両親ともに、体が少し不自由で、何かと今は苦労しているので、私を育ててくれ分、できうる限りのことで支えてあげたい。
私も早く元気になろう。


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