「お箸の持ち方」で見えてきたこと
先日「お箸の持ち方が汚い。お嫁にいけない」という趣旨のツイートから、大炎上を起こして、まだくすぶっている。
いろんな意見が出すぎて、かなりの大炎上ぶりにびっくりした。それぞれの意見に真っ当な部分はあるから、私は否定も肯定もしない。「中立」ってとこ。
というのは、私自身、正しいお箸の持ち方ができるかというと、少し今でも怪しいところがあるから。それは、習字でもだし、ピアノの弾き方もそうだし、正しい「持ち方や弾き方」ができない人だからだ。
親は直そうとしたけれど、母親より厳しく注意してきたのは、同居していた祖母だった。「お嫁にいけないよ」と。
母は、なんとかして私のあらゆる持ち方を修正しようとしたけれど、ダメだった。
唯一、私の間違えている持ち方を「それでもいいよ」と許してくれて、無理に直さなかったのは、書道の先生だった。
正しい持ち方をさせると、逆に字が汚くなり、私独自の持ち方(正しいようで実は間違えている)で書くと、きれいな字で、それで段位までとった。
逆に正しい持ち方をしていた兄の方が、今はもう読めない字を書いていて、のし書きは全て私に回ってくる。
◇
で、大炎上になったことで、該当ツイートの主さんへの攻撃や、そのツイートに反応している人たちの子供時代の話、まぁ、たくさん出ること出ること。
でも、よくそのツイートの隅々を読んでみると、もしかすると、子供時代に同じようなことを誰かに言われて、つらい思いをしたかもしれないかもしれない。
私は、私自身の幼少期のつらかった過去があるし、「それでもいいんだよ」と認めてくれた大人がいたから、救われた。そして、様々なものの持ち方も少しは改善された。(結局は少し変わってるんだけれどね)
今でも書道は続けているから(ただ公開する時間が減っているだけ)、公開してもいいけれど、その動画をみると、絶対に私は「はしたない、教養がない」と言われるのは、間違いないし、嫌われるだろうな。たぶん。
筆の持ち方の怪しさは、お箸の使い方にも少々連動している部分はあるので、それを親の責任とされるのならそれぞれの環境下のこともあるので、責めるのも気の毒。
「自分が絶対正しい」「あの人は間違えている」それは、今の時代となっては、もう古いのかなぁと思うし、古き部分に重視するところはあるから、今の日本はとかく住みにくくなったり、何かを書くことが難しくなったと思う。
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