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何度も同じことを繰り返し書く人

先日、私は目の痛みがひどくなって、2度それぞれ違う病院にいき、違う診断を受けて「このやろー!」と週末は叫んでました。

まだ痛みがあるので、ましになっても、長くパソコンなど「目を使うこと」はできないので、猛スピードでこのnoteを書きます。

SNSは、何かを発言してもいい場所ではあるけれど、過去に書いたことに対して、「これっていいんじゃない?」と思っているのか、何度も繰り返して流す人っているんですわ。

私は、「まぁ、どこまで続くかな?」と見ていたのですが、最終的には「それは間違えてるよ!」という発言まで出てきたので、フォローもやめて、ミュート機能(本人のアカウントも特定キーワードも)を使いました。

その方が書いている内容は、場合によって、特定の人にとってはいい内容なんだろうと思います。でもね、あまりにもしぶとい内容を流すのは、かえって逆効果ということもあって、いやになってしまうんです。

違う面も見たいのに、それが、ほんのわずかというのって、寂しくないですか?いろんな話を聞きたいですよね?

私が思うに、内容が同じことを繰り返して流すってことは、「今の自分に自信がない」「自分自身の過去に引目を感じている」ってのが見え隠れしてるんです。

流してくる内容とは、「転職歴あるけれど成功してる」「自分は恵まれた環境で育っていない」などで、今は成功しているけれど、「自己肯定感が低いのをあげる」「何度も過去を書くことで、もう失敗はしない呪文をかける」ってことをしているんじゃないかって思うんです。

自分に自分で呪文をかけることは、悪くはないんだけれど、言葉に対して支持する人によって、「自己肯定感を引き上げる」ってのは、あまりいい方法ではないです。

自分を支持する人がいなくなれば、あっという間に、支えるものがなくなります。もっとも「自己肯定感がしっかり育っている」というのなら、それはいいのだろうけれど、何度も語られては、少し困るものです。

最近になり、急に「自己肯定感」という文字が乱立してきていますが、自分でネットで調べて納得してはいけないと思うんですわ。

心理学というのは、専門家の本でも乱立しているぐらいで、ほぼほぼ意見は一致しているものの、勝手に解釈し理解しているかのように書くのも危険。

「心の病」で苦しんでいる人は「自己肯定感」も低いどころかぐちゃぐちゃにされて傷ついています。そういう人が、プロではない人からアドバイスを受けると、傷つくだけ。

「自己肯定感」は私も含めですが、誰かが「こうだ!」とはっきり明言するのは危険だとも気がつきました。

一旦、「自己肯定感」の話はここまでとし、目の調子が回復してから、もとの何かほっこりした話に戻していきますね。

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