私を構成する言語
妹とは日本語・英語(・ドイツ語)を混ぜて話す。この話し方は妹が始めた。いくつも言葉を混ぜて話すなんて、どれも十分に話せないみたいでみっともない、と思っていた。けどこれは妹なりの、親や環境への一種の抵抗だと思った。
父の仕事の都合で5年間、私と妹はドイツのインターナショナルスクールに通っていた。のびのびとした自由な環境は、妹にとても合っていた。仲のいいお友達が何人もいた。「将来は友達とanimal shelter作るんだ」なんて言ってた。でももうそれは叶わない。
だからこれは、妹なりの抵抗なんだと思う。友達と急に離れることになってしまっただけでなく、帰国子女を受け入れている金持ちばっかの私立女子校に編入させられ、学習障害を持つ妹が苦しむようなアカデミック・パスを歩まされたことに対する。
私は特段妹と仲がいいわけではない。けど、いつまでも味方でいたいとは思う。
私にとって、言葉は近くて遠い存在だと感じる。
私は言語化が苦手。今まで言葉にした結果、うまくいかなかった経験の積み重ねが、トラウマ(大袈裟だ)になってると思う。だから、自分の感情や考えを的確に簡潔に表すためにはどの単語・フレーズを使うべきか。悩んでいるうちに結局億劫になってしまう。口に出すところまで行ったとしても、もし間違って捉えられて、否定されたらと考えてしまい、結局「言わなきゃよかった」と思う。
書くことは好き。何度も書き直せるし、世に出す前に何時間も練ることができる。一番自分が納得する形で言葉を使える。「咄嗟に口をついて出た言葉こそ本心だ」とも言うけど、私の場合、焦って思ってもいないことを口走ることの方が多い。時間をかけて書いたものこそ、私の本当の言葉だと思う。
日本語は私の感情と深く結びついている。だからこそ操るのが難しい。
でも英語の時は考え(時には感情も)を臆せずストレートに口で伝えられる。「誤解されたら」なんて思うことはあまりない。多分英語を使っていた環境において、感情や考えを否定された例がなかったから、英語を話している時は言語化の怖さが薄れるのだと思う。私にとって、英語は正直になれる大切なツールだ。
元彼は英語がよく話せた。彼は留学帰りで、同じ英語専門塾でバイトをしていて、生徒と度々きついアメリカ英語で、上から目線で英作文を添削しているのを聞いた。
私は彼の英語が嫌いだった。というよりも、英語を話している時の彼の言動が、普段より軽率に見えて耐えられなかった。Wannabeっぽくて、格好つけてるみたいでイタいと思ってた(私情挟まってる?)。私にその調子で話しかけてきても、断固として日本語で返していた。そしたらやめてくれると思ってた。
彼にとって英語はどんな意味を持ってたんだろうか。本当に格好つけの道具だったのだろうか。それとも、私にとってそうであるように、彼の大事な一部だったんだろうか。
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