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SLAM DUNKを地で行った沖縄W杯!

日本が48年ぶりにオリンピックの出場権を獲得した。
歴史的快挙であるこのニュースは、日本中を大きく沸かせた。

試合翌日以降、特集番組が放送され、日本国内では前代未聞のバスケットボール旋風が巻き起こっている。

前回の映画『THE FIRST SLAM DUNK』の記事に続き、今回のワールドカップでの日本のアジア1位獲得、オリンピック出場についてもSLAM DUNKと併せてみていきたい。


8月31日、『THE FIRST SLAM DUNK』は9ヶ月のロングランを経て終映を迎えた。

前代未聞のロングランであったにも関わらず、ワールドカップの後押しもあったのか、最終週に近づくにつれ、各映画館では上映回数が再び追加された。

都内の主要都市にある映画館ではIMAXレーザーやDolbyなどといった特別シアターでも連日複数回に渡って上映され、最終日には満員の劇場が後を絶たず、デイリーランキングもトップに返り咲くという素晴らしいフィナーレを迎えたのだった。

私も最終日の19:00前の回でラストゲームを観戦した。

Dolbyにも関わらず満席で、エンドロールが終わると、どこからともなく拍手が送られた。拍手に包まれた劇場は、これまで9ヶ月間に渡ってこの映画がファンの心を熱くさせ、動かしてきたことの何よりの証拠だった。

最高の時間ではあったのだが、私には気になって仕方がない戦いがもう一つあった。

そう、8月31日はバスケワールドカップベネズエラ戦が行われていたのだ。

映画が終わったのは21時20分。
3Qの途中くらいかという時間、余韻を味合うこともなくスマホを開いて試合状況を確認すると、日本が約10点差で負けている。

まだまだいけるぞ!後半に強い日本の追い上げを見せてくれ!と強く願いながら走って帰路につき、家に着いた頃には4Qのラスト、
日本が2点差まで追い上げていた。

フィンランド戦で見せた軌跡をもう一度と誰もが祈りながらの応援だった。

再び軌跡は起こる。まるでSLAM DUNKの世界に入り込んだようなギリギリでの逆転劇をAKATSUKI JAPANはまたもや見せてくれたのだ。

試合後のこのゲームの功労者である比江島選手を、年長組の渡辺選手と富樫選手がいじる姿にも涙が出そうなほどの感動だった。

『THE FIRST SLAM DUNK』の作者であり監督でもある井上雄彦先生も終映日である8月31日、今作の主人公宮城リョータの出身地である沖縄に出向き日本代表を応援していた。

SLAM DUNKのストーリーとAKATSUKI JAPANの活躍がクロスオーバーする不思議な力と縁を感じずにはいられなかった。


SLAM DUNKはまだまだ世間を沸かせてくれた。
9月1日、朝日新聞の朝刊のど真ん中見開きを宮城リョータがジャックしているではないか。

朝からX(Twitter)では大騒ぎ、もちろん私もコンビニへ朝日新聞を買いに走った。コンビニで新聞を購入するなんて、生まれて初めてのことだった。

SLAM DUNKは終わらないと胸をジンとさせながら、迎えた9月2日、運命のカーボベルデ戦。

格下相手とはいえども、日本も苦戦したベネズエラを下したワールドカップ初登場の国である。油断は一切できない戦いだった。

いざ試合が始まると、冨永選手の3Pがバカスカ入るわ、ホーキンソン選手が中からも外からもシュートを決めるわで、前半は大盛り上がりの中、リードして折り返す。

しかし、得意とする後半で流れを掴むことができなくなった日本は、苦戦を強いられハラハラさせる試合となった。

最後の最後、何とかリードを守り切った日本の手にボールが渡る。時計は24秒を切っていた。
この時点で日本の勝利は確実なものとなったのだ。

フロントコートにボールを運んだ河村選手は、渡邊選手にボールを渡すべく手招きをした。

今大会で渡邊選手は、オリンピックに行けなければ代表引退するという並々ならぬ決意の下試合に臨んでいたこともあり、ウイニングボールを彼に渡したかったのだと後に会見で河村選手が語っていた。

バスケのルール上、フロントコートに運んだボールをバックコートに戻すことはできないため、河村選手は試合終了のブザーが鳴るのを待ち、男泣きを見せる渡邊にすぐさま駆け寄りボールを手渡した。

そんな日本代表チームの過去の大きな悔しさを力に変えてみせた姿と、これまでの日本バスケの歴史を背負った仲間たちとの絆に心を打たれながら私も一緒にテレビの前で勝利を喜んだ。

感動はこれだけではなかった。

日本バスケの歴史上最も意味のある勝利を手にした直後、日本代表選手がコート上で勝利を喜びあっている感動の瞬間、コートに流れた音楽はなんと『THE FIRST SLAM DUNK』の主題歌である『第ゼロ感』だったのだ。

イントロが流れ始めるやいなや、会場のブースターも湧きたち、大合唱が始まった。

試合後、SLAM DUNKが大好きだと公言している日本代表のキャプテンを務めた富樫選手もSNSにこのときのことを井上先生とのツーショットと共に投稿した。

なんでも、試合前のアップの際にアニメSLAM DUNKのエンディングテーマであった『世界が終わるまでは…』が流れていたのだとか。

「鳥肌だった、試合後の『第ゼロ感』も最高だった」と語った。

富樫選手のほかにも、NBA選手でもある渡邊選手なども幼い頃から何度もSLAM DUNKを読み返してきたと、井上先生との対談であつく語っている。

きっと選手たちの多くがあの瞬間、『第ゼロ感』を聴いて心を揺さぶられたに違いない。

連載開始当初、バスケの人気がそれほどではない日本において、バスケ漫画は成功しない。それが編集部の見解だったそうだ。

それでも、井上先生はバスケの漫画を描き続け、今ではバスケをプレーしたことがない人はもちろんのこと、プロのバスケ選手のバイブルにもなるような日本を代表する超大人気漫画へと成長し、日本のバスケを象徴する作品となったのだ。


今大会中、試合の解説者がSLAM DUNK内の名言である「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!」などのセリフをついつい口にしてしまうというシーンを何度見ただろうか。

ニュースで今までバスケを観たことがなかったと語るコメンテーターたちはバスケを何で語っていたか、SLAM DUNKだった。

約30年ぶりに公開された今作は、9ヶ月かけて日本をバスケ熱で温め続け、ワールドカップ日本代表の背中を力強く押したのだろう。

10月からはNBAもBリーグも新シーズンがスタートする。

これから1年、日本バスケの悲願であるオリンピックでの勝利を目指し、選手たちはさらなる進化を遂げパリのコートに立つことだろう。

日本のバスケがますます盛り上がることを切に祈りながらAKATSUKI JAPANのさらなる進化を楽しみにしている。

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