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第2回 自主映画の作り方〜企画書の練り方〜

第2回は「企画書の練り方」です。

企画書っちゅうか、どんな物語の映画書こうかなって思考法です。

何のとっかかりもないまま、「書いてみろ」だと頭真っ白ですよね。「みんなが求めてる物語ってどんなだろう」、っていうのはだめです。だめっていうか、もったいないです。商業ならともかく自主映画なんだから。
(自分的には商業でもだめだと思う)

まず、せっかく自主映画なんだから、って前提で、

・「自分がいま一番書きたいことを書く」
・「自分のツボを知る」

そのふたつの課題を元に自己と、とことん対話をして企画を考えます。
一つ目の台詞は大学時の恩師・高橋巌先生(映画監督)に言われた言葉です。この言葉のおかげで、自分の中の「狭い枠」が外れました。

「……同性愛を書いてもいいのかな、いやでも恥ずかしいな、周りになんて思われるか、いやでも書きたいことを書けって言われたのに、それを避けて書くのは自分に嘘つくことになるな、いいや、書いちゃえ」

不器用な性格も相まって、後先を考えずに筆を取っていました。この時は情熱に任せ、言いたいこと全部詰め込んだ物語をひたすら書いていました。


二つ目の言葉は最近自己との対話中に気づいたことです。

「自分はどんな作品(漫画や映画、小説)のどんなところに心が惹かれて観たいって思うんだろう。」

その答えは、「切ないのに、真っ向から切ない話に見せない話」でした。

私のどんな作品を観ようかなって思ったときに、まず第一にガールズラブやボーイズラブなど、同性愛ってワードに惹かれます。その理由は同性愛そのものが「切なさ」を内包しているから。

でも、ただ同性愛モノだからって理由だけでは観たりはしないんですよね。

それを真っ向から「悲恋モノ」として描いている作品はそんなに惹かれないんですよね。辛い恋のはずなのに、二人が笑顔で会話してたり、ふざけあったりしてて、でもその二人の未来は…みたいな物語にぐっときます。

それをどんどん分解していくと、同性愛じゃなくても同様の性質を持った作品でも楽しめるんじゃないか、と気付きました。

たとえば、『少女漫画に出てくる、ヒロインのライバルの女の子が、ヒロインと好きな男子を巡りいろいろ火花を散らせるが、最後は好きな男子とヒロインの恋仲を「ふんっ」とか強がりながら応援しちゃって、くっついた二人を見ながら陰で涙を流す』のとか、あるあるだけど、やっぱりぐっと来ちゃいます。

話しそれてますかね……。すみません……。

まぁ、とにかく、深く考察していくうちにそういったツボが見つかるはずです。

そのツボにハマるようなネタを探したり考えたりして、ツボに沿った物語を作っていくと、本当の意味で自分らしい企画になるのかなと思います。

悪い例だと、

切ないが好きなのに、今ワ●ピースが人気あるし、自分も熱い感動系を書いてみようって書き出しても、絶対詰まります。(経験談)それにスタート地点が「他者」だと、作品が薄くなってしまう気がするんですよね。

自己を表現した映画や、自己を投影して描かれた作品は、ある種の情熱(ぐっとくるもの)を観ている人にも与えることができると、私は思っています。自分自体、そういう作品を探して読んだり、観たりするのが好きです。

そんでそのあとに大事な作業があります。

・「それを他者に伝えるにはどう表現すればいいか考える」

その自己を内包したものを、そのまま表現するのは正直「?」ってなります。

友達との会話でもそうだと思うんですが、自分の言いたいことをただ言い連ねる人の会話って退屈ですよね。でもその自分が経験した楽しいこととかを、おもしろおかしく話して聞かせてくれる人の会話って聞いてて楽しいですよね。

それって話し手(友達)が他者(自分)を意識してくれてるからだと思うんです。つまりコミュニケーション、会話のキャッチボールが取れているということです。「気遣い」それってすごく嬉しいこと。

映画にもそれは当てはまります。

たとえば。

もし、「古代ローマの歴史映画を作ろう、そのジャンルが好きな人だけに観てもらえたらいいや」ならそんなに気にしなくていいと思います。「古代ローマの歴史映画を作ろう、でも色んな人に観てもらいたい」だったら、表現方法は考えなきゃいけませんよね。映画化にもなった漫画「テルマエロマエ」とかね。古代ローマ×日本の温泉というみんなが興味を惹くような良い表現方法だと思います。(テルマエロマエの場合、古代ローマの歴史を伝えたいより、日本の温泉の良さ伝えたいってことだと思うけど、ちょっと私の例えが下手すぎたw)

自分の場合、「同性愛の物語」をどう他者に伝えるか。
それはとても考えました。そのまま同性愛を全面に出しても、現代の日本ではまだ受け入れられないだろう、直接的な表現ではなく柔らかく、そして他に楽しめる要素が必要だな、と。

今年の3月に放送したドラマ「大阪環状線〜ひと駅ごとの愛物語〜第8話 トンネル横町の悪魔」はボーイズラブとうたってはいますが、『誰にでも楽しめるように』、その部分はとても気を遣って表現しました。

興味ある方はネット配信(http://ktv-smart.jp/pc/movie/index.php?key=19201)がございますので、ぜひご覧ください。(さりげなく宣伝)

でも他者を意識しすぎても、面白くない。
それは「気遣い」じゃなく、「媚びを売っている」ことになる。
媚びを売っているのが他者にバレたら、他者は冷める。

だから、お互いwin-winの関係を目指さなきゃいけない。

「まず自分がいて他者がいる。」

その図を忘れないように、自分でも気をつけなきゃいけないな、と思います。

以上が自己流の「企画の練り方」でした。
かなり自己流です。

が、以上のことを踏まえながら企画を練れば自分の軸がぶれることはないと思います。大変なのはネタ探しですけど、そこらへんは次回の脚本の書き方で触れようかなと思います。

最後に話し逸れますけど、
私は脚本家では「木皿泉」さんが好きです。

この方達(夫婦で木皿泉名義なので)は、かなり脚本家として異端だと思いますが、かなり自分を出した脚本を書きます。商業の脚本(特にドラマ)は自分を出すことをいやがられる場合が多いです。(たぶんね)でも、自分がない脚本はただの紙切れだと思います。

私は木皿泉さんのような脚本家を目指したい。

以上!!!

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